天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

冠動脈バイパス手術は患者に医療安全を提供

 手術が必要になる心臓病は、大きく分けて5つあります。①「虚血性心疾患」②「弁膜症」③「大動脈疾患」④「心臓腫瘍」⑤「先天性心疾患」です。

 今回は、中でも患者さんが多い①「虚血性心疾患」の手術についてお話ししましょう。虚血性心疾患は狭心症や心筋梗塞といった病気の総称で、冠動脈が細くなったり詰まってしまうことで、心臓の筋肉=心筋に酸素や栄養素を送るための血液が十分に行き渡らなくなることで起こります。治療の原則は、血管が狭くなったり詰まってしまって虚血に陥っている心筋への血行を回復することです。そのための外科的治療の大きな柱になっているのが冠動脈バイパス手術です。

 他部位の血管(グラフト)を使ってバイパス血管をつくり、狭くなったり詰まっている血管を通らなくても、心筋への十分な血流を確保できるようにします。血管が狭くなって、血流が悪くなる狭心症を患っておられた天皇陛下にもこの手術を行いました。

 心筋梗塞は、血管に血栓が詰まって血流が止まり、心筋に酸素や栄養素がいかなくなって壊死してしまう病気です。壊死した筋細胞が元に戻ることはないので、放置すれば心臓のポンプ機能が完全に停止して死に至ります。ただし、心筋梗塞が起こってもいきなりすべての心筋が壊死するわけではなく、血流が残っていた心筋の一部が生存している箇所があります。

 そうした心筋の一部に対し、バイパスをつくって再び外から血液を引いてくることで、生き残った心筋が生き残ったなりの機能を発揮できるようになるのです。

 バイパスに使う血管は、患者さん自身の血管を使用します。内胸動脈(胸板の裏にある動脈)、右胃大網動脈(胃の周囲の動脈)、橈骨動脈(手の動脈)、大伏在静脈(足の静脈)、下腹壁動脈(腹部の壁の動脈)などが使用され、どの血管を使うかはバイパスの本数、患者さんの状態などによって変わります。ただ、いずれも自分の体の中にあるものなので、医療的にもっとも安全な材料といえます。

 手術でインプラント(体内に埋め込む人工の器具)を使えば、常に「壊れる」というリスクが付きまといます。術後にしっかりしたメンテナンスも必要です。たとえば歯のインプラントは、どんなに年を取っても、朝、晩、食前、食後に歯磨きなどのメンテナンスが欠かせません。しかし、自分の歯が残っている人なら、歯磨きをさぼったとしても、そうそう歯がボロッと落ちることはありません。

 心臓も同じです。たとえば人工心臓なら、壊れて機能が止まれば命も止まってしまいます。しかし、自分の体の中にある“臓器”なら、いきなりすべてが故障することはなく、自分の体を守ってくれるのです。

 さらに、いまは長期にわたって心臓を補助できるような耐久性がある血管を使います。陛下の手術もそうでしたが、冠動脈に対しては「動脈」をバイパスとして使うのがベストです。とりわけ内胸動脈は個体差がほとんどない血管で、どれだけ年を取っていても良好な状態にあります。体の中でいちばん動脈硬化が起きにくい血管なので、心臓のバイパスに最適なのです。術後のメンテナンスのための薬もほとんど必要ありません。

 これに対して静脈は、患者さんによってひどく傷んでいたり、太さが変わっていたり、枝が出ていたりと、個体差が非常に大きい血管です。耐久性も劣りますし、術後も定期的に血液を固まりにくくする抗血小板剤を飲まなければなりません。胃潰瘍や出血しやすくなるといった副作用の心配もあります。

 バイパス手術は、そうしたメリットとデメリットをしっかりはかりにかけ、その時点でできるもっとも有効な選択をした上で行われます。非常にシンプルで安全な手術といえるでしょう。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。