独白 愉快な“病人”たち

元サッカー選手・元Jリーグ専務理事 木之本興三さん (65) バージャー病 ㊦

(C)日刊ゲンダイ

 これら2つの朗報によって、本当の意味での社会復帰が可能になったんです。

 サッカーをする側から「見る側」へと変わった転機は、1976年です。グッドパスチャー症候群で腎臓摘出の手術を受けた翌年から古河電工健康保険組合に籍を置いていましたが、上から「今の古河では雇いきれない。なんとか自分で考えてやってくれないか」と言われ……。そこで、ちょうど同時期に話があった日本サッカーリーグの事務局長就任の誘いを受けることにしました。

 余談ですが、この事務局長について、古河電工の職場の部長が、当時の日本サッカー協会の総務理事に「木之本というのはああいう体だけど、優秀だから案外やれるんじゃないか」とお願いしてくれていたそうです。そのことを知ったのは、5~6年前。日本のサッカーを変えたいと行動してきましたが、自分ひとりでやってきたというのは実に浅はかな考えだった。先人たちが道をつけてくれていたんですね。

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