独白 愉快な“病人”たち

歌手・米良美一さん(44)くも膜下出血

米良美一さん
米良美一さん(C)日刊ゲンダイ
倒れる前の記憶がほとんどなく気づいたら病院でした

 くも膜下出血というと激しい頭痛に襲われるとよくいわれますけれど、僕の場合、倒れる前の記憶がほとんどないんです。

「予兆」と呼べるようなものもなくて、気づいたら病院でした。

 倒れたのは2014年12月7日夜から翌日にかけてのこと。7日に鹿児島公演を終えて都内に帰宅し、8日はオフだったのですが、昼すぎにマネジャーが来てくれる約束になっていたので、発見してもらえたのです。

 マネジャーの話によると、トイレには嘔吐物が多少残っていたものの、部屋の床に嘔吐していたものもきれいに掃除した形跡があり、汚れた服はちゃんと着替えて倒れていたというんです。でも、僕はまるで覚えていないんですよ。声を掛けられて無意識にうなずいたりはしていたようですけれど、朦朧としていたようでした。

 ステージは5段階のうちの「4」でした。あと少し発見が遅れていたら、命がなかったというレベル。くも膜下出血は、脳の血管にできた瘤が破裂して、脳を覆っている膜の中に血液が広がってしまう病気で、僕の家族や親戚も多く患っています。祖母、叔父、叔母がくも膜下出血で亡くなっていて、祖父も脳出血。母も若い頃に脳に瘤が見つかり、破裂する前に手術しているので、家系的に自分も気にはしていたのです。「40歳も越えたし、そろそろ脳の検査しなくちゃな」と思っていた時でした。

■後遺症の水頭症で2度目の手術に

 1度目の手術は知らないうちに済んでいたのですが、くも膜下出血の後遺症のひとつである水頭症になってしまい、結果的に2度の手術をしました。水頭症は、髄液の流れが停滞して脳にたまる病気で、くも膜下出血の術後によくあるそうです。しばらくは管を通して頭から外へ髄液を排出していました。しかし、意識がはっきりしない状態が2週間ぐらい続き、このまま様子を見るか、手術かの二者択一を迫られる状況になりました。手術を決断したのは僕の母です。

 手術は、髄液を正常に体の中へ流す“シャント”と呼ばれる2~3センチの機械を頭に入れるというものでした。頭の中に機械だなんて、サイボーグみたいでしょう?

 でも、その手術は頭に開けた小さな穴から手探りで行うものらしく、医師の勘だけが頼りと聞かされ、僕も僕の周囲の人たちも難しい選択を迫られました。

 手術を決断した母は、たとえ大きなリスクを伴う手術であっても、僕が元気になることを信じて先生の手術に懸けたのです。あれは“母の野性の勘”のなせる業(笑い)としかいいようがありません。医師から説明を受けた時、「やってください!」って即答していました。

 入院生活は特に苦になりませんでした。僕は先天性骨形成不全症という病気で、10代の頃は骨折で入院ばかり。慣れっこなんです(笑い)。

 もちろん、不安はありました。立てるだろうか、歩けるだろうか、一人で暮らせるだろうか……と。

 しかし、術後はメキメキ回復して3カ月で退院。その半年後にはコンサートができたんですから、母をはじめ、お医者さまや看護師さん、心配してくれたスタッフや温かいファンの皆さまに感謝するばかりです。

 入院中のリハビリは筋力をつける運動面と、パズルや漢字練習など頭脳面の両方を同時進行していました。今も自宅にリハビリの先生に来ていただいて、階段の上り下りやマッサージ、昔からバランスが悪かった左右の脚の筋力の調整などに励んでいます。

 歌だって、初めは思い通りの声が出ないもどかしさとの闘いでした。でも、焦っていいことはないとひたすら我慢。少しずつ少しずつ、声を取り戻す作業を繰り返しました。

 何でもそうだと思うのですが、自分が闘う相手はいつも自分です。他人を攻撃しているうちは、自分が恵まれていることに気づかない。闘うべきは自分だと思うようになると、周りの見え方って違ってきますね。

 今も1日10錠ぐらいの薬を飲んでいますし、身体的にはまだ万全とはいきません。でも、歌は大病したからこのくらいで仕方ない……なんて思ったことはありません。仕事=お客さまにお会いできることが僕の生きる希望です。

▽めら・よしかず 1971年、宮崎県生まれ。94年、洗足学園音楽大学を首席で卒業し、同年デビュー。アムステルダム音楽院への留学を経て97年、映画「もののけ姫」の主題歌がヒット。以後も国内外で幅広く活躍している。2007年には自叙伝「天使の声~生きながら生まれ変わる」を著した。