独白 愉快な“病人”たち

診断に7年…漫画家・島津郷子さんとパーキンソン病の闘い

「また漫画が描けるようになったことがうれしかった」と語る島津さん
「また漫画が描けるようになったことがうれしかった」と語る島津さん(C)日刊ゲンダイ

 2008年に「パーキンソン病」と診断され、頭に電極を植え込む「脳深部刺激療法(DBS)」という手術をしてから9年が経ちました。胸の少し上には電源となる小さい箱が左右1つずつ埋め込まれていて、そこから頭に電気信号を送っています。まるで、サイボーグみたいでしょう?(笑い)。3~4年に1回、電池交換もするんですよ。

 この病気は国が指定する難病で、ゆっくり進行する原因不明の神経変性疾患です。手足の震えや歩行困難、発語障害のほか、うつ症状などいろいろな症状が起こるのですが、それ自体で命を落とす病気ではありません。 

 異変に気付いたのは01年の初頭、「ペンを持つ手が震えてしまう」ことから始まりました。当時は連載を抱え、スタッフも多い時で7~8人いた頃。月100ページ近く描くこともあり、疲労がたまっていた上、漫画家としては致命的な症状に焦りを感じました。

■「過労」や「うつ病」と診断され……

 震えがひどくなって近所のクリニックへ行ったのは同じ年の半ばです。でも、「パーキンソン病」と診断されるまでには7年もかかりました。その間にどれほどたくさんの病院へ行ったことか……。

 初めは大学病院の神経内科で「過労」と診断されました。当然ですが、処方薬を飲んでも手の震えは悪化するばかりでした。その後、別の病院の精神科を訪れると「うつ病」と診断され、抗うつ薬を処方されました。でも精神的な不安はますます募り、震えはひどくなりました。そして、02年に連載を中断し、長期休暇を余儀なくされたのです。

「自分はパーキンソン病なのではないか」と確信を抱くようになったのは、05年に「パーキンソン・ノイローゼ」と診断されて入院した精神科病棟がきっかけでした。3カ月半、いろいろな薬を試す中、ある薬を飲んだときに手の震えが止まる感覚を覚えたのです。「マドパー(L・ドーパ)」という薬で、後に「これが効いたらパーキンソン病」とされる薬だと知ったのです。

 でも、行く先々で診断されてきたのは心身症、うつ、不安神経症、脅迫神経症、解離性障害……。精神科病棟を退院した後もそれは続きました。しかも、「パーキンソン病の権威」といわれる医師の診断でもパーキンソン病の疑いを否定されてしまったのです。それがまるで“お墨付き”のようになって、ほかの病院で半月以上入院してつらい検査をしても、同じ結果しか出ませんでした。

「あの権威ある医師に認めてもらわない限り、どこへ行ってもダメなんだ」と悟った私は、その医師に手紙を書いて再度受診しました。手紙にしたのは医師を目の前にするとうまく話せそうもなかったから。内容は、発症の時期や症状の詳細、なによりマドパーが効いているという事実を訴えるものでした。ちょうど先生が手紙を読んでいる最中に薬が切れて、目の前で震えが始まったことも功を奏し、やっとパーキンソン病と認められたのです。

■頭に電極を植え込む手術で震えが嘘のようになくなった

 でも、それは決して喜ばしいことではなくて、完治しない病気との闘いの始まりでした。治療は、薬とリハビリという対症療法です。全身に震えがくると座っても立ってもいられなくて、コップを持てば床に水をばらまいてしまうほど。薬で震えは止まるけれども、効力はどんどん短くなっていって、規定の頻度を超えてかなり頻繁に服用したこともあります。

 そんな頃、知り合いから聞いたのが「脳深部刺激療法」です。もちろん初めは「頭に電極なんて無理!」と思いましたよ。場所が脳だけに後遺症が残って、今より救われない状態になった場合の恐怖との葛藤もありました。でも、手術を受けた人の手記や笑顔の写真に背中を押されたのです。

 迷いながらも主治医に紹介状を書いてもらって、その手術ではナンバーワンといわれる医師のいる大学病院を受診しました。そして、08年の10月末に手術をしたのです。中には適性が合わず手術したくてもできない人もいると知って、チャンスに恵まれたことを幸運に思いました。

 約10時間の大手術でした。頭に2カ所穴を開けて電極を刺し、胸に機械を入れたので、計4カ所に6~7センチの傷があります。術後、電極を通すとそれまでの震えが嘘のようになくなって「わぁ、普通の人だぁ」と思いました(笑い)。うれしかったのは、震えがない体を取り戻せたことと、また漫画が描けるようになったこと。一時は「もう描けない」と絶望しましたから、久しぶりに墨汁のにおいを感じたときは感動しましたね。

 今も薬が必要ですし、ちょっと声が出にくかったり、歩くのが危なっかしいからヘルパーさんや看護師さん、リハビリの先生などに訪問してもらっていますが、なんとか穏やかに暮らしています。したいことはできるうちにやりたい。特別なことじゃなく、人に会ったり、漫画を描いたりという普通のことですけれど。

▽しまづ・きょうこ 三重県生まれ。1973年に少女コミック誌「週刊マーガレット」(集英社)でデビュー。代表作に91年から11年間「YOU」(同)で連載された「ナース・ステーション」(全20巻)がある。その後、病気を発症して活動休業。8年のブランクを経て、09年に執筆を再開した。昨年、闘病記をまとめた「漫画家、パーキンソン病になる。」(ぶんか社)を発売。

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