独白 愉快な“病人”たち

えのきどいちろうさん 続発性の脳腫瘍と「一生付き合っていく」

麻酔から覚めて家族の顔が見えたとき「生きてるんだ」と思った
麻酔から覚めて家族の顔が見えたとき「生きてるんだ」と思った/(C)日刊ゲンダイ

「俺、脳腫瘍だってさ……」

 カミサンにそう電話した後、慈恵医大病院の石段に座って、午後の診察が始まるまでボーッとしていました。そのときは「ああ、死ぬんだなぁ」って思いました。いま思えば、眼科の先生が「脳腫瘍です」なんて、きっちり病名まで言わなくてもよかったんじゃないかなと思いますけどね(笑い)。

■近所の眼科で検査したら「脳腫瘍です」

 そもそもの始まりは、視力が落ちてきたから、ちゃんとしたメガネを作ろうと思っただけなんです。いまから23年前、35歳のボクは草野球チームの4番バッターでした。そのシーズンは打撃好調で、「もっと打ちたい」という欲を持ったわけです。その頃、視界の右上にモヤがかかるような感じがあって、仕事やテレビゲームのやりすぎで視力が落ちているのだと思っていました。ここらでひとつ元ヤクルトの古田敦也さんのようなパーフェクトな、本当にちゃんとしたメガネを作れば、もっと打てるんじゃないかと考えたのです。

 夏の終わりに近所の眼科で検査をしたところ「目自体の問題じゃないですね」と言われ、慈恵医大病院の眼科を紹介されました。後日に受診すると、MRI検査があり、その画像を見ながらその眼科医に「ここの白いのが脳腫瘍です」とサラッと言われたのです。

 確かに、目の裏のあたりにピンポン球ぐらいの白い影がありました。「早期なんですか? 死ぬんでしょうか?」と尋ねるボクに、先生は「それは脳外科の担当なので、午後、脳外科に行って聞いてください」とだけ言って診察が終了しました。

「えーっ?」となって、だいぶ動揺しました。午後の診療時間までの間、石段にひとり座り込み、「脳腫瘍」という現実の重さにすっかり打ちのめされてしまいました。

 結局、脳外科で脳腫瘍にもいろいろあり、ボクの場合はその中の「脳下垂体腫瘍」で、しかも「良性」だと知らされました。良性であってもできた場所によっては手術が難しいこともあるそうですが、ボクの場合は場所もよくて、取りやすいところだったみたいです。「お仕事の都合のいいときに入院してください」という具合で、緊迫感は一切ありませんでした。

■手術から5年後に再びガンマナイフ治療を受けた

 その年の11月に入院を決めたのは、出版業界の年末進行を逃れるため。2カ月分の仕事がサボれるからです(笑い)。当時、雑誌のコラムやラジオなどレギュラーが何本もあったのですが、お休みをするにあたって事情を説明すると、みんなとても優しくしてくれるんです。脳腫瘍という病名のインパクトがなせる業でしょう。この調子で女の子を口説いたら誰でもOKしてくれるかも……と思ったくらい(笑い)。

 手術は、開頭手術ではなく、口の中の上唇の付け根を切って、内側から腫瘍を取る経鼻的手術でした。外傷もなく、口の中は再生が早いとのこと。入院は1カ月と言われましたが、ボクは19日で退院しました。

「命に別条はない」と言われたので不安は少なかったのですが、全身麻酔でしたから、麻酔から覚めて母親やカミサンの顔が見えたとき、「生きてるんだ」と思ったのは覚えています。翌日から、もう視界が良くなったことも実感しました。ダメージを受けた体が元に戻ろうとする力を感じられたのもいい経験です。ゲームでたとえると、HPが毎日上がる感じ(笑い)。

 ただ、ボクの脳腫瘍は続発性でずっと持ち続けるものらしいです。根っこは常にあって、いつまた腫瘍になるかわからない。実際に手術から5年後にまた膨れてきて、ガンマナイフ治療を受けました。

 一生付き合っていく病気を持ったことで、人生の考え方が変わりました。以前は、いくらでも何でもできると思っていたんです。だから、仕事でも遊びでもムチャをしました。でも無限じゃない、終わりはあるんだと思うようになって、将来を軽く悲観しました。病気はある意味“自分のことを諦めた体験”だったんです。

 入院中、ずっと「どのくらい体が弱い人になるんだろう」とか「一生この体でだましだましやっていかなきゃいけないのだな」などと考えていました。ただ、そのうちに、「このだましだましやっていくのも、けっこう面白いぞ」っていう境地になってきたんです。

 思えば、人はみんな与えられた環境の中で与えられたものを工夫して生きているんです。今回、ボクに与えられたカードは脳腫瘍でしたが、そこに文句を言ってもしょうがない。多少嫌なことがあっても、体調が悪くても、その中でベストを出せる“快活なプレーヤー”。そういう人でありたいといまは思っています。

▽1959年、秋田県生まれ。大学在学中に雑誌「宝島」で執筆活動をスタートする。連載コラムを何本も担当する傍ら、ラジオでもレギュラー番組を持つ。日本ハムファイターズのファンとしても有名で、スポーツやゲームに対する鋭い考察で人気を博している。球界達人対談集「本当は、死ぬまで野球選手でいたかった」(ベースボール・マガジン社)ほか著書多数。

関連記事