正社員で働く発達障害の人々

29歳で発達障害と知り…生活の対処法が見つかると前向きに

福田晃平さん
福田晃平さん(提供写真)

 福田晃平さん(32歳)が指導員として働いているのは、LITALICOジュニアという教室。㈱LITALICOが運営するこの教室は、発達障害の子供を対象に、コミュニケーションスキルや社会性、勉強などを教えている。教室にじっとしていられない子供に「10分間頑張って教室にいてみようか」と呼びかけて、一緒にカードゲームやジェンガをしたり、友達とトラブルになったときのためのロールプレーイングもする。このように発達障害の子供に向き合う福田さんは、自身も発達障害の診断を受けている。

「親御さんとの座談会では、『実は私も発達障害なのですが、こうやって働けています』と話すこともあります。みなさん子供の発達障害についてどう捉えたらいいか悩んでいらっしゃるので、『子供のことが心配だったけれど、将来の見通しにつながりました』と感謝されたこともありました」

 福田さんが発達障害を疑ったのは、23歳のころ。オーストラリアでのワーキングホリデーから帰国した福田さんは、学生に留学のプランを勧める営業の仕事に就く。そこで仕事のしづらさに気がついた。

「命じられた指示がよく分からず、細かい内容を忘れてしまうことが多かった。『こんなこと普通は分かるよね』『また間違ってるの』と高圧的に言われると、頭がパニックになり、ますます間違えてしまいました」

 ひとくちに発達障害といっても、人によりさまざまな特性がある。複数の仕事を並行して行うマルチタスクを苦手とする人は多いが、福田さんは、言葉で指示を受けるのが苦手だった。

 遠回しに言われた内容をくみ取れず、相手の意図とはまったく違ったことをしてしまったこともあったという。留学のプランを提供するという仕事内容も、さまざまな留学の価値観があるなかで共感できないこともあり、ただ留学を売り込むという作業になっていた。結局、以前の仕事で発症したうつ病が再発し、仕事を辞めることになった。なぜ自分は仕事がうまくいかないのか? その原因を求めて、クリニックで成人知能検査であるWAIS―Ⅲなどの検査や問診を受け、初めて自分が発達障害だと知った。

 発達障害にはさまざまなタイプがある。医師の見立てでは、ADHDだった。ADHDは、注意欠如、多動性障害ともいわれ、集中できない、じっとしていることができないといった特性があるとされる。福田さんは疲れると言語面での複雑なやりとりが理解できにくくなる傾向がある、それが医師の説明だった。診断時、福田さんは29歳。障害を受け入れながら生きていくための方法として、障害者手帳を取得した。

「発達障害の診断を受けたとき、これで自分の生活のしづらさへの対処法が見つかるのでは、と思ったんです。だから、手帳の取得で少し生きやすくなるなら、と前向きに捉えていたんです」

(つづく)

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