膵臓がんで、抗がん剤治療を受けているAさんの独り言です。
抗がん剤治療での定期の3日間の入院です。採血、エックス線写真を撮ると、明日の抗がん剤の点滴まで何もすることがなくなりました。
4人部屋で、カーテンを閉め、ベッドに入って、この前と同じ白いボコボコした天井を見てため息をつきました。うるさいのです。そっとしておいてください。うわべだけの優しそうな声をかけないでください。本当に優しいなら、静かにしていてください。
治らないとはっきり言われた私の気持ちが分かりますか? あと、6カ月の命と言われた私の気持ちが分かりますか?
それでも、何とかよくなりたいから、少しでも長生きしたいから、我慢してまた、同じ天井を眺めているのです。あなたたちと私は違うのです。 私はあの世に行く列車に乗るために、もう隣の駅を出たかもしれない列車をじっとホームで待っている、そんな身です。ただ、列車に安全に乗るようにと、そうして見送るあなたとは、全然違うのです。
ベッドで開いた雑誌には、医者がこんなことを書いていました。
「日本人は、命に限りがあることをもっと自覚すべきだ。死を考えたことがないから諦めが悪い。死の受容ができないでいる。死の教育が必要だ」
■人は生きたいのが当たり前
ああ、そうですか? 医者はそんな考えなんですか。立派ですね、あなたは。きっとあなたが死ぬ時は、死を受け入れて穏やかに死ぬんでしょうね。
ああ、元気なときに私は言いましたよ。死なんて怖くないと言いましたよ。だけどいま、こうしてあの世に行く列車がまだまだ来ないようにと、ホームで震えて待っているのです。
やっぱり生きたいのです。5歳の娘と妻と別れたくないのです。だから、こうして我慢して入院して、また、白い天井を見つめているのです。
健康で立派なあなたには関係ないでしょうが、死ぬことを考えると怖いのです。
Aさんの主治医の独り言です。
私は、今度新しくAさんの担当になった医師です。私はAさん自身ではないですから、Aさんの気持ちを100%理解することはできません。それでも、私は一生懸命、あなたのどんなことでも聞きます。聞いて、どうすればいいか一緒に考えます。
Aさんのがんは、この治療で統計上の生存期間の中央値は6カ月となっています。ですから、これから外れる方もたくさんおられるのです。6カ月たって元気だったら、1年たったらまた新しい治療薬が使えて、今度はそれからまた1年と言われ、また、また……。そうして私が担当した患者さんで、もう7年生きた人もいます。本当に治った人もいるのです。
中には予想よりも早く亡くなった患者さんもいますので、人の命は分かりません。Aさんの先のことは、誰にも分からないのです。人は必ずいつかは死ぬのですが、私は死の受容なんてする必要はないと思います。きっと、私自身もいざとなった時には死の受容なんてできないと思います。
ん? 雑誌に医師が書いたことですか? 禅の修行もしていないのに悟ったふりをしているだけです。いいんです。気にしなくていいんです。
人は生きたいのは当たり前です。当然です。生物はすべて生きたいのだと思います。それで生物(いきもの)なのです。最期まで希望を持って生きたいですよね。ですから、こうしてあなたは抗がん剤治療を受けているのではありませんか。
幸い、Aさんは動けないわけではないのです。この抗がん剤の治療が終われば、また、家に帰れます。
生きてください。一緒に悩み、一緒に頑張ってください。それが医師の私の生き甲斐です。
死の列車が来ないように、遠くへ行ってしまうように頑張りましょう。
がんと向き合い生きていく