独白 愉快な“病人”たち

日常生活もままならず…野口健さんが壮絶ヘルニア体験語る

野口健さん
野口健さん(C)日刊ゲンダイ

 すさまじい音と振動がきて、一緒にいた4~5人で腕を組み四つん這いになりました。ふと顔を上げると、雪崩が巨大な生き物のようにものすごい勢いで迫っていました。

 2011年、標高6000メートルのエベレストでのことです。「もうダメだな」と思いました。

 そして、「ドン!」と雪崩がぶつかったんですけど、手前に巨大なクレバスがあったおかげでそこに重い雪が落ち、舞い上がっていた軽めの雪に巻き込まれたことで、奇跡的に全員が助かりました。

 それでも、圧倒的な圧力で流されて雪に埋もれ、鼻や口に詰まった雪を急いで指でかき出さなければなりませんでした。首の後ろが少し腫れたものの、生きていられたのは本当に奇跡。雪崩は氷の塊を含んでいるので、まともに食らったら体なんか簡単にちぎれるんです。

 九死に一生を得たそんな体験から約1年後、右手の指の先がしびれるようになりました。さらに1年後、右肩甲骨の辺りに痛みがきました。そのうち、マイナスドライバーでえぐられるような痛みで日常生活もできない状態になりまして、接骨院でレントゲンを撮ったら「首のヘルニア」と診断されたのです。原因は、年齢や登山の荷物運搬などいろいろですが、引き金は「雪崩のときのムチウチだろう」とのことでした。

 処方された薬で、痛みは一時的にとれました。でも、飲むと視界がゆらゆらして、歩くとフラフラで、ろれつが回らなくて、目つきもおかしくなる。それほど強烈な薬でした。ヘロヘロでも仕事は休まずに行きましたが、薬が切れると痛くて、しんどいからどうしてもお酒を飲みますよね(笑い)。

 お酒と薬で落ちるように寝ることが日常になり、常に事務所スタッフに面倒をかける日々でした。

 治療を模索していくつも病院へ行きましたが、どこへ行っても「手術しなければ治らない」と言われました。しかもその手術は、喉の前からメスを入れて変形した骨を切り取り、腰の骨を切り出してそこへ入れるというもの。「半年間は山には行けない」と言われました。

 なかなか決心がつかないまま2年近くがたち、精神的にも壊れかけ、いよいよなんとかしなければと思った頃、通い始めたスポーツジムのトレーナーから「首と腰のヘルニアを内視鏡で手術する専門医がいる」と教えてもらいました。それが徳島大学整形外科の西良浩一先生です。

 聞けば、何人もの有名なアスリートのヘルニアを内視鏡手術で治している先生でした。ボクが「来年ヒマラヤに登りたい」と言うと、「じゃ、すぐやろう!」と言うのです。それが2016年の夏でした。

 手術は、内視鏡で神経が当たる部分の骨を削るというもの。要は脊椎に穴を開けるわけです。一歩間違えば半身不随になる難しい手術とのことでしたが、西良先生は「大丈夫。来年にはヒマラヤに行けます」と飄々と言ってくれたので、直感で信頼してお任せすることにしたんです。

■退院2日後に富士山へ

 手術は全身麻酔で4~5時間。傷はわずかで痛みも少なく、2日後には自分でトイレに行け、1週間もするとリハビリ室で軽いトレーニングができるようになりました。 と同時に、主治医がうちわを手にボクの病室に来て、「阿波踊りの練習をしよう」と言い出しました。さすが徳島だと思いましたね。それがまた真剣で、手術から10日後、退院を迎えたとき本当に阿波踊りに参加しましたよ(笑い)。

 さらに、退院して2日後には富士登山に出発しました。熊本の被災地の子供たちとの約束だったので、「せめて行けるところまで」という気持ちでした。医師からは「絶対に転ぶな」と言われたので緊張しましたけど、結局、山頂まで行っちゃいました(笑い)。

 ヒマラヤへ行ったのは今年の春。それまでに50回以上も登ってきた山ですが、2年間のブランクは初めてです。不安でしたし、いざ登ってみるとこれまで当たり前にやっていたことにあたふたしちゃって……。でも、その感じが初心に戻ったような新鮮さで、「不安ってのは楽しいものだな」と思いました。

 日常生活もできなくて「山は終わった」と思った時期もありました。「山で死ぬことはないからそれもいいな」と考えたことも確かです。でも、「山をやめたら何も残らないし、何も残らないのも怖い。どうであれ怖いなら山を続けよう」と思い至って今があります。

 入院の時間というのは病気にもよるし、人にもよると思いますけど、考えようによってはぜいたくな時間だと思います。自分と向き合えるし、謙虚にもなれる。まあ、謙虚さはそう長くは続きませんけどね(笑い)。

(取材・文/松永詠美子)

▽のぐち・けん 1973年、米国生まれ。16歳のとき植村直己さんの著書に感銘を受け、登山を始める。25歳で7大陸最高峰世界最年少登頂記録を樹立。その後は、エベレストや富士山の清掃登山を実践し環境教育を広める活動に力を注ぐ。2015年に「ヒマラヤ大震災基金」設立、翌年は「熊本地震テントプロジェクト」を立ち上げ現地で活動するなど、被災地支援にも尽力している。

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