後悔しない認知症

若いころから面倒見が良ければ老いてからも快適に過ごせる

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

「ボケが始まったら、なんだかみんながやさしくしてくれるんですよ」

 84歳になる知人がうれしそうにいう。同い年の奥さんと2人暮らしをしているのだが、自分が認知症と診断されたことを知った息子夫婦が、いままでとは違い頻繁に家に顔を出すようになったという。温泉好き、洋服好き、ジャズ好き、ゴルフ好きの彼に「箱根に行こう」「御殿場のアウトレットがバーゲンだ」「ブルーノートのチケットが手に入った」「たまには一緒にグリーンを回ろう」などと誘ってくれるようになったのだという。「育て方は間違っていませんでした」と息子の変貌ぶりにやや戸惑いながらもうれしそうだ。

 おそらく、父親の認知症発症を聞き、息子さんは認知症対策の情報を収集したに違いない。家に閉じこもらずに、外出させ、好きなことを続けさせ、日を浴びるといったことが認知症の進行を抑えると知ったのだろう。そのせいか、知人はこれまで通り、なにかにつけポジティブな姿勢を保っているし、表情も明るい。息子夫婦がこうした接し方を心がければ、知人の認知症の進行は間違いなく穏やかだろう。子どもばかりではない。かつての部下、年下の知人などとも、こうした関係を続けられれば、なおいい。

■若い人の助けを借りてウィンウィンの関係に

 一方で、年を重ねたり、認知症になったりすると、子ども、かつての部下、知人との関係が急激に疎遠になる人もいる。そうしたタイプの人は認知症の進行が速いという傾向が見られる。

 認知症になってからの人づきあいの違いの理由はどこにあるのだろうか。長年、精神科医として数多くの高齢者を診てきた私の経験から言わせてもらおう。それは、その人に「面倒見の良さ」があったかどうかだ。相手が子どもであれ、他人であれ、自分の周りの人間に、その人の身になって「誠実に一生懸命に対応してきたかどうか」である。子どもの意思を尊重して、子どもの生き方を親として支えてきたか。悩んでいる部下、困っている知人に協力を惜しまずフォローしてきたか。これが、親子関係を含めた高齢者の人間関係を左右するといっていい。若いころからこれができていれば、年を重ね、仮に認知症になったとしても、若い人との関係は苦にならない。また、相手も離れていくことはない。

 手を借りたり、手を貸したりという関係をお互いに気持ちよく維持できる。「面倒見の良さ」ばかりではなく、「おばあちゃん、おじいちゃんの知恵袋」はたとえ認知症になっても、すぐに消滅してしまうわけではない。若い世代が頼りにする部分も多い。

 一方で、体力や新しい知識は、若い世代が得意とするところだから、高齢者は助けてもらえばいい。認知症であっても、若い世代と「ウィンウィン」の関係は維持できるのだ。そうした関係は認知症の進行を抑える効果があるのは間違いない。

 認知症になろうがなるまいが、若いころから「面倒見の良さ」を心がけて生きていれば、今度は自分が「面倒見の良さ」の恩恵を受けて機嫌よく人生の後半期を過ごせるわけだ。やや教訓めいた言葉を使えば「因果応報」である。ただし「面倒見の良さ」とは、ときに相手にとって耳の痛い話をしなければならないこともある。相手はそれを受け入れなければならないこともある。このことはお互いに忘れてはならないだろう。

 耳の痛い話をしない「忖度人」ばかりを周りにおいていれば、寂しい人間関係の中で生きていかなければならないし、年を重ね、役職や地位がなくなったときに周りから人がいなくなってしまう。ここでいう「面倒見の良さ」には、常にフェアネスが同居している。それが人間関係の本当のやさしさというものだ。

和田秀樹

和田秀樹

1960年大阪生まれ。精神科医。国際医療福祉大学心理学科教授。医師、評論家としてのテレビ出演、著作も多い。最新刊「先生! 親がボケたみたいなんですけど…… 」(祥伝社)が大きな話題となっている。

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