独白 愉快な“病人”たち

子宮頸がん患い…木口マリさん「1年で手術4回」の苦難語る

木口マリさん(C)日刊ゲンダイ

 トータル4回手術を受けたのです。でも、おかげさまで今は毎日楽しいですよ(笑い)。

 異変は、2012年の不正出血からでした。少量でしたが、回数が増えてきたので翌年1月に産婦人科クリニックを受診しました。「異常が出ない」と言われながらも2~3週間おきに検査を受け続け、「結果が出たのですぐ来てください」と電話があったのはなんと5月でした。

 電話を切った後、しばし固まりましたが、繰り返す検査の中でなんとなく予想して、「最悪はがん。余命宣告されるかも……」とまで考えました。でも「たとえあと2カ月と言われたとしても、その時間はこれまでの人生で一番充実した時間になるかも!」という考えがフワ~ッと浮かんできて、「それもいいな」と前向きでした。

 案の定、「子宮頚がんでした」と言われ、改めて大学病院で検査を受けたところ、子宮頚がんの中でもポピュラーな扁平上皮がんでありながら腫瘤をつくらないで広がるがんだとわかりました。つまり、普通の細胞の顔をしながら実はがん細胞だというかなり珍しいがんだったのです。

■女性としてのアイデンティティーをすべて失う気がして…

 最初の手術は円錐切除術でした。「どのくらい広がっているかわからないのでかなり大きく取った」と聞きました。

 数日後、結果を聞きに診察室に入ると、先生に開口一番「悪い結果です」と言われました。しかも私が最悪と予想していた子宮全摘手術を軽く上回り、卵巣、卵管、膣の一部、骨盤内のリンパ節まで全部取る手術になると告げられたのです。

 気が動転しました。がんだけでもショックなのに、女性としてのアイデンティティーをすべて失う気がして言葉も出ないほどうろたえました。

 でもそこで救われたのは、主治医の先生がとても落ち着いて私をケアしてくれたことです。婦人科のトップを務める先生なのでとても忙しいはずなのに、そこから1時間じっくり説明してくれて、先生の方から「セカンドオピニオン受けますか?」と聞いてくれたのです。

 結果は同じでしたが、そのセカンドオピニオンの結果を「一緒に読みましょう」とその場で開封してくれたのも信頼度アップにつながり、その先生にすべてを任せて7月中旬に手術することにしました。

 怖かったです。いろいろな不安が湧いてきて食事が喉を通らなくなりました。でもある日、姉に「怖いんだよ」と打ち明けたら「そりゃそうだよ」と言われ、「怖がっていいんだ」と思えたら徐々に楽になりまして、手術を迎える頃には落ち着きを取り戻していました。

 手術室にはざっと10人ぐらいの医師や看護師さんがいました。マスクをした麻酔科の先生が妙にカッコイイと思える余裕もあり、目覚めたときにはまったく痛みがないことに驚きました。キズはお腹の中央を縦に20センチほども切っているのに、術後も背中から常時麻酔を入れているので、痛みを感じることはありませんでした。

 それも素晴らしいと思いましたし、術前に「大丈夫そうなら残してください」とお願いした左側の卵巣が無事に残ったことを知り、ホッとして「これでもう回復するだけだ」と思いました。

 ところが、回診に来た先生がまた「悪い結果です」と言うのです。取ったリンパ節の中にがんがあり、進行度も上がってしまったと……。「続いての治療が必要になります」と言われ、抗がん剤治療をすることになりました。脱毛、吐き気、激やせ……と悪いイメージしかない抗がん剤に恐れおののく私に、先生はまたじっくり丁寧に説明して不安を一つ一つ取り除いてくれました。

■術後合併症で腸を1.8メートル切除

 8月から3週間おきに入院して抗がん剤を点滴すること6回。11月末にやっと治療が終わり、「これ以上はないだろう」と明るい気持ちになっていたのもつかの間、年末にお腹の激痛に襲われ、救急車で病院に逆戻りしました。なんと、術後合併症のひとつ「腸閉塞」になっていたんです。腸が壊死して破裂寸前の絞扼性イレウスという危険な状態でした。手術で腸を1・8メートルも切除したそうです。そして、「さすがにもうこれ以上はない」と思った次の瞬間、「人工肛門にしました」と言われたのです。

 もう感情が完全にシャットダウンしました。仲良しの看護師さんのジョークにも笑えず、すべてが面倒くさくなって誰にも会いたくなくなりました。でも、婦人科の先生が病室に来てくれて、「(命が無事で)本当によかったよ」と握手してくれたときの手のぬくもりと力強さが薬となって、手術から5日目の朝にパチンとスイッチが入ったように立ち直ったんです。突然、「まあ、いいか」みたいになって(笑い)。

 約半年間の人工肛門生活でした。初めこそショックでしたが、お腹からニョキッと出る小腸のそれは動きが激しくて、見ているとまるで踊っているみたいで楽しくなるんです。命を守ってくれた腸だと思うとなおのこといとおしくて、2014年5月に閉じることになったときは、むしろ残したいと思ったくらい。でも、あるべき場所へ帰るのが腸の幸せだと思ってさようならしました(笑い)。

 病気をしてから「無駄なことをしている時間はない」と思うようになり、仕事も遊びも「やる意味がある」と思えることだけするようになりました。また、病人や障がい者の方々を「かわいそう」ではなく、「すごい経験をしている人」と思えるようになりました。 (聞き手=松永詠美子)

▽きぐち・まり 1975年、埼玉県生まれ。旅、街、いきもの、医療を中心にフリーで活動するフォトグラファー&ライター。2013年に子宮頚がんを患い、一時は人工肛門になる。投稿型ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」代表。公益財団法人日本対がん協会「がんサバイバー・クラブ」公式サイトで「木口マリの『がんのココロ』」を連載中。

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