コロナ感染患者が語る「病院4つ回るも診察してもらえず」

30代男性会社員(提供写真)
30代男性(会社員・フードデリバリー)

 政府の緊急事態宣言で外出を自粛したり、在宅勤務に切り替えたりする人が増えている。それでも感染者数の拡大は止まらない。感染経路を特定できないケースも増えているだけに、誰もが感染から逃れられないのが現実だ。

 それでは異変に気づいてから検査を受けて入院するまで、いったい、どんな闘病生活を送るのか。神奈川県在住の30代の男性会社員は副業でフードデリバリーの仕事をしている。仕事後に遊び仲間と千葉のクラブを訪れた翌日、寒けがするようになったという。

 ◇  ◇  ◇

■3月28日(土)

 昼から夜まで新宿や渋谷など約20軒に配達しました。その日は、体調は全く悪くありませんでした。そのあと、いつも一緒に遊ぶ仲間10人くらいで、古い音楽が流れる千葉のクラブに行きました。地元の人は20人くらいいたでしょうか。4時間半くらい過ごして帰宅しました。

■3月29日(日)

 こんな季節なのに珍しく雪が降りました。悪寒がして、喉の痛みや咳も軽くありましたが、急に気温が下がったせいだと思っていました。

■3月30日(月)

 普通に出勤しました。一日中頭痛と倦怠感がありましたが、風邪の初期症状のようで大したことはありませんでした。だけど、「絶対大丈夫っしょ!」って思っていた志村けんさんが亡くなり、コロナをなめすぎていたかなぁと思い始めました。

■3月31日(火)

 いつも通りに出勤し、職場で体温を測ると37.5度。そこで初めて熱があることを知り、午後は休みをとって病院に行くことに。町医者や病院を自転車で回りました。

 1、2軒目は、コロナの影響で31日まで臨時休診。3軒目は「37.5度は、コロナの疑いがあるから診ることができません」と、はっきり断られました。保健所に相談してくださいとか、そのような指示もありません。4軒目は、もう時間も遅かったので開いている病院をネットで調べて行ったのですが、救急病院だったのに時間外で診察してもらえませんでした。

 仕方がないので、その日は受診することなく、ドラッグストアで市販の風邪薬を買って帰宅することに。

■4月1日(水)

 朝起きると頭痛と倦怠感が残っていましたが、市販薬が自分の体に合っていたようで、体は楽になっていました。

■4月2日(木)

 特に症状が強くなることはなく、この日も市販薬を飲むと体が楽になったので出勤しました。ただ、志村けんさんの訃報以来、コロナが身近に思えてならないように。

■4月3日(金)

 朝、出勤前にオレンジジュースを飲むと味がしません。飴をなめても味がしない。そこでコロナ受診の目安を調べると、思い当たるのは倦怠感。息苦しさはありませんでした。念のため、上司に報告しました。

 夜はチャーハンとギョーザを食べたのですが、味はいつもの10%くらいしか分かりません。「コロナにかかっているかもしれない」と本格的に思い始めますが、やはり半信半疑でした。

写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ
大量の発汗に頭痛、悪寒、吐き気、関節痛、倦怠感…119番に連絡すると防護服を着て迎えに

■4月4日(土)

 急に体調が悪くなり、大量の発汗。そのほかに頭痛、悪寒、吐き気、関節痛、倦怠感とオンパレードです。トイレも這いつくばって行くようになりました。

 自分の中で「コロナ」はほぼ確定。ネットでコロナの窓口を調べて電話をしてみるとつながりません。さすがに不安になりました。それがどこの窓口だったのかは、もう覚えていません。

「もしかしたらコロナにかかっているかもしれない」と実家に連絡したあとに養父からメールでもらっていた電話番号にかけてみることにしました。地域の保健所の電話番号だったらしくすぐつながり、「病院に行ってください」と指示がありました。

 ただ、自力で病院に行くことができなかったので119番をすることに。これまでの経緯を説明すると、自宅に来てもらえることになりました。到着した救急隊員3人は防護服を着て対応してくれました。

 地域の中核病院に救急搬送され、すぐにPCR検査を受けて点滴が開始されました。生理食塩水だけで他に薬は入ってなかったと思います。このときも解熱作用のある市販薬を飲んでいたので熱はありませんでした。

 点滴を受けると、それまで自分を苦しめていた症状のオンパレードが驚くほど改善されました。

 看護師さんからは「公共交通機関には乗らないでください」「同居する家族とは隔離してください」といった注意事項が書かれた紙を渡されました。それを見ながら「これでコロナじゃなかったら、だいぶ人騒がせだな」と思いました。

 医師からは「PCR検査の結果は明日を予定しています。ただ、今は混み合っているので、明後日になる可能性もあります。今日は、歩いて帰宅できますか?」と聞かれました。

 搬送される前と比べると雲泥の差のように体が楽になっていましたので、「はい」と答え、自宅待機をすることになりました。

 しかし、病院の外に出てみると、改めて「ここはどこだろう」と思いました。調べると、自宅まで徒歩で約1時間です。

 軽快したとはいえ、さすがに歩いて帰れるほどの体力はありませんでした。公共交通機関には乗らず、養父に車で迎えに来てもらうことにしました。その後は自宅待機です。

■4月5日(日)

 夕方になっても保健所からの連絡はありません。点滴してもらってから良くなっていたのも次第に逆戻りで、前日と同じくらい体調不良です。

 病院にその旨を連絡すると「市販薬をまた飲んでみてください」とのことで、つらいですがそうすることにしました。もう、どうすることもできないですから。クソしんどかったですが、熱は37.3度でした。

■4月6日(月)

 自宅待機で朝を迎えましたが、保健所からはまだ連絡がありません。熱は37.8度です。

「本当にコロナ陽性かもしれない」と母に連絡すると、「おまえなんか死ね。出歩いたりするからだ」と、ものすごく怒られました。不器用な母の言葉ですが、心配しているのが伝わりました。

 夕方に保健所から電話連絡があり、やはり陽性でした。7日から2週間の入院です。

 同時にいつ、どこで、誰に会ったのかなど、ここ2週間分の行動の詳細を聞かれました。電車は何線を使ったかとか、断られた診療所はどこまで入ったのかなど、すべての洗い出しです。治療費用については、「とりあえずお金はかかりません」と伝えられました。

 入院に必要なものは別途、病院から直接連絡がありました。

 持ち物は、洗面用具、パジャマ、着替え、タオル、ティッシュ、せっけん、ハンガーなど一般的な入院と変わりはないと思います。携帯電話や充電器なども忘れないようにと、親切な案内もありました。

 保健所から家族や会社の労務部にも連絡が入ったりして、周囲に迷惑をかけまくりました。

■4月7日(火)

 4日に救急搬送された病院に入院です。体調は悪くありませんでした。病院までは養父に車で送ってもらいました。濃厚接触せざるを得なかった養父は、基礎疾患があるので少し心配ですが、この日以来、自主的に隔離生活を送っています。

 病室は4人部屋で、最初は私1人だけでしたが、その日のうちに3人になりました。部屋に1つあるトイレや洗面所を共同で使います。

 CTで肺に影があることや味覚もないため、医師からは、明日から服用するアビガンの説明を受けました。担当医と複数の先生が協議した結果だそうです。症例が少なく慎重に扱われるべき薬であることや、催奇形性のリスクがあるとの説明を受けました。

 健康には自信がある方で、高血圧の薬の治験を受けたこともあるくらいですから、アビガンにも抵抗感なく、すんなり同意できました。

PCR検査(写真は、韓国ソウル新型コロナウイルスの同検査)/(C)NNA/共同イメージズ
アビガン投与開始 朝食後に200ミリグラムを9錠

■4月8日(水)

 朝目覚めると部屋は満床になっていました。みんな僕より年下です。

 熱は36.3度で、自宅にいるときにヤマ場は越えたようで体調がいい。味覚も少し戻ってきて、朝ごはんがおいしく感じました。朝食後にアビガンの内服開始です。

 看護師から渡されたアビガンは200ミリグラムが9錠です。思ったよりも多くてびっくりしました。薄い黄色い錠剤で味はしません。アビガン以外の薬は飲んでいません。点滴もありません。

 夕食後もアビガン200ミリグラムを9錠飲みました。

■4月9日(木)

 朝食後、アビガン200ミリグラムを4錠渡されて飲みました。下痢が始まりましたが、ほかにはほとんど症状はありません。医師によると、下痢はアビガンの副作用の可能性もあるとのことでした。夕食後も200ミリグラムを4錠です。

■4月10日(金)

 体調は良好です。朝食後に200ミリグラムを4錠服用しました。味覚は50%くらい戻っています。

 入院中は、隣のベッドとカーテン1枚で仕切られている生活ですが快適です。病棟自体が隔離病棟のためか動線が区切られているわけではなさそうで、病室外にある浴室にも1日1回シャワーを浴びに行くことができます。

 洗濯は自分で手洗いをする必要がありますが、買い物も看護師さんにお願いをすれば、1階の売店まで行ってきてくれるので感謝しています。

 コロナの感染者は、想像するよりも身近に結構いると思います。僕が言うのもなんですが、反面教師にしてもらえたらと思います。

■4月11日(土)

 味覚はほぼ回復しました。医師が診察の時に、6日後くらいに退院の可能性があると話していました。PCR検査の結果が陽性だとしても、自宅待機やホテル待機になることも想定できるとのことです。医師は2日に1度くらい、看護師は毎日3度の食事と朝に、体温・血圧・血中酸素濃度を測りに来ます。

 アビガンは、変わらず朝夕食後に200ミリグラムを4錠ずつ飲んでいます。

■4月13日(月)

 PCR検査をしました。結果は数日後です。

 病室のテレビは有料だから携帯電話にゲームをダウンロードしたり、動画を見たりしてヒマを潰しています。病院にWi―Fiがないからギガホにしててよかった。

 アビガンの量や回数に変化はありません。

■4月14日(火)

 きょう、アビガンの錠剤シートの裏に「妊娠回避」「共有・譲渡厳禁」と赤字で印刷されていることに気がつきました。アビガンの量や回数に変化はありません。

■4月15日(水)

 月曜に受けたPCR検査の結果が陰性でした。もう一度検査して陰性なら帰れます。正直、「アビガンってやっぱ効くわぁ……」みたいな実感は皆無です。アビガンの量や回数に変化はありません。

■4月17日(金)

 お昼ごろに2回目の陰性が分かり、夕方に退院します。同部屋のほかの3人も退院です。アビガンは、今日の夕食分で終了です。

■4月18日(土)

 やっぱり家は落ち着きます。医師からは自主隔離の必要性の説明はありませんでした。今は近隣の実家で過ごしています。

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