絶望してはいけない 命をつなぐ僧侶の言葉

「私たちは苦しみの多い社会をどう乗り切るか、という宿題を与えられ生きている」

曹洞宗長寿院の篠原鋭一住職(C)日刊ゲンダイ

 そうしてひとりで酒を飲んでいると、ある種の瞑想の時間のようになって、いままで気付かなかったことや思いつかなかった考えが、ふっと浮かんでくる。インドでは古来から人生を学生期、家住期、林住期、遊行期と分けて、年齢によって生の在り方が変化していくと教えます。そのなかで中年を過ぎると林住期といって、森林に隠栖して修行する時期が来るというのですが、そういう得難い時が来たと思えばいい。自分の人生の生まれてから今までをゆっくり思い返して、ありがたい時間を持つことができたなあ、と思えばいいんです。そのほうが、お姉ちゃんたちと騒いで飲んでいるよりよっぽどいい。自分の部屋だと雑音が多くて静かな気分にならないというのなら、ぜひ長寿院までいらっしゃい。ソーシャルディスタンスで私とは2メートル離れて、ゆっくりお酒を飲めばいいでしょう。

 コロナのためにあれもできなくなった、これもできなくなったとマイナスでばかり捉えるから、苦しみばかりがつきまとってしまう。もともと世の中自体に不安がつきもので、私たちは不安と同居しながら生きていくものなのです。だからこの世界を娑婆、苦しみの多い社会と呼ぶのです。私たちはそんな社会をどう乗り切っていくかという宿題を与えられながら生きている。この答えを見つけにいくのが面白いととられられたら、物の見方が変わってくる。自分の生きている時代に、こんな大変化に遭遇した。これは面白い。この大転換期に遭遇して、自分という人間の在り方はどう変わっていくだろうかと、面白がる気持ちになれば、苦しさもなくなります。飲み歩いて騒いで、落ち着かない疲れる生活から、静かにひとりを楽しむ生活に、一段階上昇したと思えば、残念がる理由など何もないはずですよ。

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