がんと向き合い生きていく

介護施設のコロナ対策を見て思い出す日野原先生の「人間力」

佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 ある介護施設の玄関に「ご面会の皆さまへ」と題する掲示がありました。

「手指消毒をしてください。マスクの着用をお願いします。1~2メートルの距離を保ってください」

 なるほど、コロナが流行しているからなと思いながら読み進めていくと、「握手やスキンシップをお控えください」と書かれています。そこでふと聖路加国際病院の名誉院長、故・日野原重明先生を思い出しました。

 2004年の7月ごろだったと思いますが、乳がんで闘病中だったアナウンサーで随筆家の田原節子さんを、医療雑誌の取材を兼ねて訪ねたことがありました。最初はレストランで会う予定でしたが、脳転移が判明し、入院中の聖路加国際病院の病室に伺いました。

 田原さんは、ベッドで横になりながらも長い時間お話ししてくださいました。そしてその際、こんなことを口にされました。

「入院患者は皆さん、日野原先生の回診を待っておられるのよ。先生が握手してくださる、週に1度の回診が生き甲斐とおっしゃる方がおられるの」

 院長や名誉院長が患者を回診する――。一面では、それを「儀礼的」と受け止める方もいらっしゃるでしょう。それが、日野原先生の回診は患者にとって生き甲斐になっているというのです。

 私は、その事実だけでも日野原先生の「人間力」を表していると思いました。

■いま生きておられたらどう思われるだろうか

 たしか2008年だったかと思います。聖路加国際病院に、がん拠点病院の要件としての外来化学療法室が完成しました。私が東京都のがん拠点病院協議会の担当をしていた関係で、福井次矢院長から知らせを受け、ある日の夕方、聖路加国際病院まで見学に伺いました。福井院長がお待ちいただいていると思って出掛けたのですが、病院に着くと日野原先生が私を待っていてくださり、びっくりしました。

「外来化学療法室、よく見ていってください」

 そうおっしゃられる日野原先生に、私は大変恐縮して「分かりました」と頭を下げ、その後に福井院長とお会いしました。日野原先生はどんな小さなことでも、時間があれば積極的に対応されていたのだと思います。

 また、ある時の日野原先生は某教授の退官記念祝賀会に出席され、ご挨拶を述べられました。某教授にとって、それはとても光栄な出来事だったようで、その後、日野原先生に出席いただいたことが、自分のこれまでの最も優れた業績のように自慢されるようになったのです。

 私が申し上げるまでもなく、日野原先生はものすごく多方面でご活躍された方です。いのちの授業、葉っぱのフレディの絵本、音楽療法、ミュージカル、新老人の会、終末期医療の普及、ホスピスの開設、104歳を迎える直前に安保法制絶対反対……その他、数えきれません。朝日新聞の日曜版には亡くなる直前まで毎週登場していたように、年を取るほどにますます意気盛んでらっしゃいました。

「握手やスキンシップをお控えください」

 この言葉を、握手で患者に生き甲斐を与えていらした日野原先生が、いま生きておられたらどう思われたでしょう? コロナ禍では仕方がないとはいえ、感染しているかいないか分からない者同士が、病気でもない者同士が「握手を控える」という時代をどう思われたでしょうか。WEBでの握手、WEBでの回診……そう言われたでしょうか。

 私は勝手に、きっと先生は「もっともっとPCR検査を……」と言われたのではないかと思っています。

 超人的とはいえ、人間力にあふれた日野原先生が105歳で亡くなられて3年が過ぎました。以前、日野原先生の講演会の後で握手していただいた方が、「なんて柔らかい手、温かい手」と話されていたことをいまも思い出します。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

関連記事