昨年2020年は生誕80年ということもあり、ジョン・レノンの話題が国の内外を問わず、多くのメディアで取り上げられました。そのジョンがオノ・ヨーコとの出会いによって大きな影響を受けたことは周知の事実ですが、その影響のひとつに自然菜食主義(玄米菜食)が挙げられます。しかし、ヨーコが玄米菜食を実践していた理由やきっかけについて詳しいことは不明です。旧財閥家の子女であるヨーコが、小さい頃から玄米を主食にして育ったとは考えられません。
しかし、彼女について書かれた「ヨーコ・オノ・レノン全史」(河出書房新社刊)の中にそのヒントがあります。それによれば、1965年ごろ、ヨーコがニューヨークの自然食レストラン「パラドックス」で働いていたことが記されています。そこで彼女は玄米菜食に出合ったと推測されます。また、愛息ショーンが誕生する前に、玄米、全粒粉、豆類、野菜、海藻、塩などだけの食スタイルであるマクロビオテックの講習会を2人で訪ねたことが明らかになっています。
ショーンが生まれた後、ハンブルク時代からの友人であるクラウス・フォアマン(グラフィックデザイナー、ミュージシャン)とジョンの間で交わされた興味深いやりとりがあります。ヨーコが編者となっている「メモリーズ・オブ・ジョン」(イースト・プレス刊)に、ジョンの当時の心境とともにつづられています。そこでは「ああ、クラウス、僕はとても幸せだ! 鳥のように自由だ(Free as a bird)」と主夫として子育てをする日々の幸福を伝えています。そして、クラウスの目の前で玄米の炊き方を教えるのです。
ジョンは棚から鍋を取り出し、そこに手で何つかみかの玄米を入れます。「さて、これからが大事なんだ!」と言いながら、米を洗い、手を米の上に置きながら水の量を調整してみせたそうです。「手の甲が水で覆われるまで水を注ぐんだ、ほら」と……。それは恐らくヨーコに教わったのでしょう。米を炊くときの日本の伝統的な方法です。そしてジョンは続けます。「グツグツと煮て水分が蒸発したら出来上がり。だいたい45分。玄米は精製した白米よりもずっと時間がかかるんだ」と……。
もしかすると日本人男性で、こんな方法でご飯を炊ける人は少数派なのではないでしょうか。さらにクラウスによれば、オーブンを開け、焼きたてでおいしそうな匂いのするパンを木の板の上に置いたそうです。そのパンも精製していない全粒粉でこしらえたパンだったに違いありません。
ジョンが主夫として子育てに励み、自分のキッチンで玄米を炊いたり、パンを焼いたりする日々は約5年間続きました。
さて、今でこそ精製していない玄米は、食物繊維やビタミンが豊富であることなどから、健康に良い食材として認知されていますが、1975年から80年当時、玄米の栄養価値についての認知度は高くはありませんでした。
何度かの中断こそあったものの、80年に亡くなるまでジョンは玄米菜食を続けていました。ヨーコの影響を受けたと思われるジョンの食スタイルは、健康に良いというメッセージとともに、菜食主義の世界的な広がりに少なからず影響を与えたことは間違いありません。
玄米菜食は日本の伝統的食文化といっても過言ではありません。現在、和食は世界遺産として広く世界で評価されています。しかし、すでに1977年、米国議会で発表された通称「マクガバン・レポート」においては、肉食中心の西洋の食文化を批判しながら、精製していない穀類、季節の野菜、魚介類中心の日本食、特に元禄時代以前の日本の伝統食こそ「理想の食事」だと高く評価されているのです。
あなたもトライしてみてはいかがでしょうか。
ビートルズの食生活から学ぶ健康