独白 愉快な“病人”たち

突発性頚椎硬膜外血腫と闘う三浦雄一郎さん「ストックを突いて歩けるだけ儲けもの」

三浦雄一郎さん(左は次男の三浦豪太さん)/
三浦雄一郎さん(左は次男の三浦豪太さん)/(本人提供)
三浦雄一郎さん(89歳/プロスキーヤー・登山家)=特発性頚髄硬膜外血腫

 2020年6月3日、僕は「特発性頚髄硬膜外血腫」という100万人に1人と言われる珍しい難病を発症して緊急手術を受けました。でも、それから1年後の今年6月、富士山の5合目で行われた聖火リレーで無事に聖火ランナーを務めることができました。杖を突き、次男に付き添われながらでしたが、緩やかな上り坂を300メートル歩き、聖火をつなぎました。医師は「奇跡に近い」と言っていました。

 発症は突然でした。明け方に変な感じがするなと思っていたら両足がしびれてきて、そのうち手足がどんどん麻痺していく感覚に襲われました。

 その日の朝、ちょうど東京から来ていた次男が僕の様子を見に来たので、「ちょっと手足がしびれている」と訴えると、すぐに救急車を呼んでくれたのです。それがよかったんだと思います。症状が出てからの対応が早かったから、ここまで回復できたのでしょう。

 頚髄は、脳から手足を動かす指令を伝える運動神経や知覚神経の束で、外側は硬い膜に守られて頚椎の管を通っています。その硬膜の血管が破れて出血し、脊椎を圧迫したようです。2019年に経験した脳梗塞とはまったく違い、意識は普通にあるし、ちゃんと話すこともできました。

 救急車で運ばれたのは北海道医療センターです。到着すると、必要な検査をしてすぐに手術の準備が始まりました。そこには脊椎・脊髄の専門で有名な先生がいらして、その先生が手術をしてくれるというので「命を預けます」という気持ちでした。

 怖いとか不安は感じませんでした。自分でも「これはもう手術以外ないだろう」と思っていましたから。ただ、首から下が全身麻痺していましたから、リハビリに長い時間がかかりそうだということは覚悟しました。そのときすでに聖火ランナーを務めることが決まっていたので、「その日までにはなんとか杖を使って歩けるくらいにはなりたい」と思っていました。

 術後は寝たきりの期間が2カ月ほどありました。その後、リハビリ専門病院に転院して、本格的なリハビリの開始です。最初はパワースーツという機械のアシストを使って立ち上がったり、歩いたりしました。でも、やっぱり自分で動くことや人にマッサージをしてもらうことの方が圧倒的に重要で必要なことだと感じました。車いすの操作から、イスを使った立ち上がりや腰掛けなどで少しずつ筋力をつけて、手術から6カ月後にはスキーストックを杖にして歩けるまでになりました。

 自宅に戻ってきたのは今年2月。術後8カ月目です。それから階段の上り下りを練習したり、ウエートトレーニングをして、練習用聖火を持って外を歩いたり、ゆるい坂道を上る練習をして、本番に臨みました。

■病気には「治る楽しみ」がある

 状態としては、その頃からまだあまり変わっていません。後遺症として下半身を中心に麻痺が残っていて、自分の感覚では体の左側は60%回復、右半身は50%といったところです。将来的に麻痺が治るかどうかわかりませんが、ストックを突いて歩けるだけ儲けものだと思っています。もっと状態が悪い人もいるわけですから……。

 リハビリに焦りはなかったですよ。最初から聖火リレーには間に合う、できるだろうと思っていました(笑い)。これまでも病気やケガはいくつも経験してきましたから、付き合い方は慣れています。

 今はリハビリあるのみ。週に3回、自宅へ療法士が来て、ちょっとしたリハビリをしているほか、リンパマッサージ。月曜と土曜にはスポーツジムに行ってゆっくりした運動を少しずつやっています。たとえば、固定バイクならせいぜい5分。トレッドミル(ランニングマシン)はバーにつかまりながらウオーキングやランニングを5~10分ぐらい。今のところはゆっくりね。

 じつは次の目標があって、ロシアのエルブルス山をスキーで滑降する計画を立てています。その準備として、今年の冬にはハンディキャップスキー(ソリのようなスキー)を使ってガイド付きで滑ることから始めたいと思っているんです。エルブルス山に行けるのはおそらく再来年あたりかな。91歳での挑戦(笑い)。いくつになっても人間は目標がなきゃダメですよ。

 今まで何回も病気やケガや手術を経験してきたから言えることは、病気やケガや手術をした後は、少しずつ良くなっていく経験もできるんだということです。それは喜びであり幸せですよね。つまり、「治る楽しみが病気にはある」と僕は思っています。

 10月には僕が校長を務める高校(クラーク記念国際高等学校)の野球部が北海道高校野球大会で優勝しまして、決勝戦では僕も球場で応援していたんです。生徒たちは僕を励ますために頑張ってくれたのも多少あったんじゃないかなと思って、お祝いに肉を差し入れしました(笑い)。

(聞き手=松永詠美子)

▽三浦雄一郎(みうら・ゆういちろう)1932年、青森県生まれ。64年イタリア・キロメーターランセ(スピードスキー)で当時の世界新記録を樹立。70年にエベレストで世界最高地点スキー滑降を成し遂げ、その記録映画「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」はアカデミー賞を受賞した。85年には世界7大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年(当時70歳)と08年(当時75歳)に次男とともにエベレストに登頂。プロスキーヤーとして今なお挑戦し続けている。

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