がんと向き合い生きていく

ジャングルでの孤独な潜伏生活を支えた素朴な宗教心とは

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 今からおよそ50年前の1972年2月、グアム島のジャングルに約28年間潜伏していた残留日本兵の横井庄一さん(97年没)が帰国しました。

 最近、横井さんが帰国後に入院した際のカルテが見つかったと報道されました。当時56歳でした。

 横井さんは太平洋戦争の終結を知らされないままひとり潜伏し、カエル、カタツムリ、ネズミ、トカゲなどを食べて生きていたのだそうです。しかし、栄養不足から歯はボロボロになっていて8本も抜いたといいます。

 そんな中で横井さんが生き延びることができたのは、精神医学的に3つの理由を挙げています。①比較的年長者で②素質的に要求水準が低く③素朴な宗教心があったこと。これが医療チームの総括でした。

「比較的年長者で、素質的に要求水準が低く」はなんとなくわかります。もちろん、体力的に大変だったと思いますが、「素朴な宗教心があったこと」について、失礼ながら興味を引かれました。浅学の私には、宗教とは「生きることよりも死を受け入れること」にあると思われたからです。

 グアム島に入ってすぐに仲間のほとんどの兵士は無残に殺され、その後ひとり潜伏して、28年間もの長い間生きてきた。相談相手もいない孤独な中で、それを支えた「素朴な宗教心」とは、どんなものだったのでしょうか。本人しか分からないことなのかもしれませんが、しかし、彼が生きていくための術のひとつだったようなのです。

 私たちは、大岡昇平の小説「野火」や、映画「ビルマの竪琴」などで、戦争中のジャングルでの生活を知ることができます。大変な、悲惨な、想像を絶する毎日です。

 クリスチャンとして知られるドイツの哲学者、アルフォンス・デーケン先生は、「キューブラー・ロスの“死の受容5段階”の後には、神のもとに行ける希望がある」と話されました。また、肺がんを患った先輩のM先生は真宗信者ですが、がんの再発の不安と死の恐怖が去来する中で「いつも如来様と一緒の思いで心が安らぐ」と話されたことがありました。

 横井さんは、まったくの孤独の中でも、素朴な宗教心があったことで、もしかしたら心の中では真の孤独ではなかったのかもしれません。

■人はいざとなれば「神様!仏様!」と叫ぶもの

 僭越ですが、自分自身の宗教心を見てみると恥ずかしい限りです。これまで、がんの患者さんが亡くなった時、遺族となった方々に「同じ病気の方のために役立ちますからお願いします」とお話しし、たくさんの方から病理解剖の了解をいただきました。患者さんの中には、亡くなる前に「先生から解剖を依頼されたら応じるように」と家族に話されていた方もおられました。

 病理解剖は解剖台のご遺体に一礼して始まります。がんの病巣を探り出し、最後はご遺体を縫って、一礼して終わります。この時、“宗教”が頭に浮かぶことはほとんどありません。「ご苦労さま」と話しかけると、ご遺体が「はい」と返事をしてくださっているような、そんな感じでおりました。

 随分前のある時、わが家には神棚や仏壇がないことに気づき、小さな仏壇を購入しました。そして、ご先祖さまと先に亡くなった姪の写真を置きました。いつも、新たに炊いたご飯を供え、水を取り換え、ろうそくをともし、線香をたきます。その程度の私です。

 人は、信仰がなくとも、いざとなれば「神様! 仏様!」と叫ぶのではないでしょうか。自分のこと、肉親のこと、知らない人のことでも、命に関わりそうな出来事に遭遇すると、そう叫びます。われわれは、それがあって生きていけるのではないか。そのようにも思うのです。たとえ特別な信仰心を持っていたとしても、横井さんは戦争が終わったことを知らずに過ごしたジャングルで、何回も「お母さん」と、あるいは肉親の名を、そして「神様! 仏様!」と叫ぶことがあったのではないかと思いました。

「宗教心」のことで、そんな勝手な想像をしました。横井さん、ごめんなさい。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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