独白 愉快な“病人”たち

ヒロシさん痔ろう壮絶経験…ロケ先の熊本で入院し肛門の脇に管がささったまま帰京

ヒロシさん(C)日刊ゲンダイ
ヒロシさん(芸人/51歳)=痔ろう

「え? 入院!?」

 こう言っては何ですが、「痔」ぐらいのことで? という驚きと、そんなにひどいのか……という思いが入り交じりました。

 何より入院なんて怖いじゃないですか。僕は健康診断の血液検査さえもダメな人間なので、手術や入院と聞いた途端にビビリまくって、ひどく憂鬱になりました。病名は「痔ろう」。キングオブ痔、です。

 それは、2021年夏、熊本でのキャンプ番組のロケ中でした。痛くなってきたんです、いわゆる肛門がですね。座っていられないくらいの痛みになり、熱も出始めたので横になりながら番組を撮り終え、帰路につきました。車で1時間半ぐらいの山奥だったため、街まで長い振動がお尻に響いて……。「これはいかん」となり、そのまま熊本の病院へ向かいました。そこで言われたのが「入院してください」です。

 じつは30代前半から年に2回ほどですが痔が出てくることはあったのです。でもそれは「痔ろう」ではなく、病院から処方してもらった薬で治っていたので油断していました。

 東京で仕事があったので、熊本では切開して膿を出すという応急処置だけの2泊3日の入院でした。切開の日、手術室前で順番待ちがあって、僕の前の人がたくさんの曲名リストから、何か曲を選ばされているんです。ビビリの僕は「手術中に好きな曲を聴かなくちゃいけないほど怖いのかぁ」と、それだけで不安になりました。自分が何の曲を選んだのかは、もはやわかりません。本当は全身麻酔にしてほしかったんですけど、何らかの理由で局部麻酔になりました。

 音楽が流れる中、お尻を出して、切られている感覚もありました。痛くはないですけどね。自分としては看護師さんに話しかけていたんですけど、大部分は「ああー!」とか「ハーッ!」とか「まだー?」といった奇声でしたね。20分ぐらいのことだったんでしょうけど疲れました。

 翌朝の診察がまた強烈で、横たわったところで躊躇なく指を入れてくるんです。「イターーーー!!!」ですよ。しかもそのあとグリグリやるんです。「ダダダーーー!!!」ってもう言葉にもならない。熱が出そうでした。

 そのうえ、食事がまずい。大抵のものは食べられる僕がまずくて食べられなかったんですから相当ですよ。忘れられないのはピンクのような紫色の玉。昔、アフリカで粉を固めたような団子を食べたのを思い出しました。

 もちろん、たばこも吸えません。敷地内に喫煙所もない。点滴棒を引きずりながら外まで行くのがどれだけ大変だったことか……。1日2箱のヘビースモーカーにとっては“地獄”でした。

■東京で入院する前に“最後の晩餐”

 2日後、肛門の脇に膿を出すための管がささったまま東京に戻ってきました。それから東京の病院で受診すると「2週間ぐらいの入院が必要」と言われました。

 痔ろうは、肛門の奥の小さなくぼみに細菌が入り込んで炎症を起こし膿がたまり、括約筋を貫通して膿の通り道ができてしまった状態です。治療は、できてしまった通り道を手術によって取り除くというもの。肛門を締める括約筋をなるべく削らないように取るのが重要なポイントで、イボ痔や切れ痔とは別物なんです。

 熊本でのトラウマがあったので、入院前日に「今のうちにおいしいものを食べておこう」と近所で外食しました。気分的にはもう最後の晩餐ですよ。

 ところが、東京の病院は食事がびっくりするくらいうまかった。熊本みたいな食事が2週間も続いたらどうしようと思っていたけれど、おいしい上に量もあるし、毎日違うメニューが出てくるので感動しました。おまけに病院の敷地内に喫煙所もあったんです。熊本の病院と比べたら本当に“天国”でした。入院してみてわかったのは、「大きな病院がいいとは限らない」ということです。熊本の病院は、それはそれは立派な大きな病院でしたが、自分にとってはあまりいい思い出がありません。今後、どんな病気になって入院するかわかりませんけど食事は重要。ご飯が食べられる病気なら食事がおいしいところが絶対いいです。東京の病院を退院したとき、病院食とのお別れが名残惜しかったですもん。

 あれから1年半以上が経ち、肛門の具合はどうかというと、先生は「いい」って言うんですけど、“かゆい率”が以前より高まっているんですよね。ウンコの出方が変わったっていうのかな(笑)。なんだか拭いても拭いてもキレイにならない。横っちょに別ポケットがあるみたいに拭ききれない。ウォシュレットを使うようになったんですけど、洗うと乾燥してまたかゆくなるんです。だからなんとなくいつも汚いっていうか……。僕は一生、この肛門と生きていくんだなと思っている状態です。

(聞き手=松永詠美子)

▽1972年、熊本県生まれ。芸人を目指して上京し、ホストクラブなどでアルバイトをしながら活動。2004年に「ヒロシです……」で始まる自虐ネタでブレークした。近年「ソロキャンプ」を動画配信し、再びブレーク。オリジナルキャンプブランド「№164」を立ち上げ、キャンプギアのプロデュースなどもしている。23年、新たな書籍が発売予定。

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