独白 愉快な“病人”たち

5代目・江戸家猫八さん 高3の秋に「ネフローゼ症候群」が発覚し30歳まで自宅療養

5代目江戸家猫八さん(C)日刊ゲンダイ
5代目・江戸家猫八さん(46歳)=ネフローゼ症候群

 今でも免疫抑制剤で症状をコントロールしている状態でして、「完治」ではないけれど「寛解」しております。この安定した状態になるまでに18歳から30歳まで12年間かかりました。そして46歳の今、薬の量を少し減らすかどうか、主治医と話し合っているところです。これでもし再発すると、今より薬を増やさなければいけなくなるもので。

「ネフローゼ症候群」は、腎臓のろ過機能に炎症を起こす難病です。本来、血中にとどまるはずのタンパク(アルブミン)が尿となって出てしまい、低タンパク血症になることによって、倦怠感とともに全身がむくむのです。

 病気がわかったのは高3の秋でした。朝、起きるとまぶたが腫れていて、昼すぎに治るという日々が毎日続きました。それを看護師である叔母に話すと、「腎臓系の病気の可能性がある」と言われ、薬局で市販されている尿タンパク検査キットで調べることを勧められました。調べてみると案の定、陽性だったので病院を受診し、「ネフローゼ症候群」と診断されたのです。

 叔母のおかげで医者も驚くほどの初期段階での発見だったのですが、いきなり2カ月間の入院を言い渡され家族もびっくり。治療によって免疫力が落ち、感染症にかかりやすくなるため大事をとって長めの入院期間が設定されました。それでも予定通りなら年内には退院をして、卒業式に出られるはずでした。

 ところが実際の入院は延べ10カ月にもおよび、卒業式に出席できなかったどころか、その後も再発を繰り返し、30歳まで自宅療養をしておりました。

 ネフローゼ症候群の治療は、最初に大量のステロイド薬によって一気に炎症を抑え、徐々に薬の量を減らして寛解を目指します。ただその過程で再発しやすい病気でもあって、再発すると治療はやり直し。私の場合も、もう少しで退院というところで何度も再発しました。

 その後、強めのステロイド薬に替えたことで、それまで出なかったムーンフェース(顔がむくんで丸くなる)や白内障、骨粗しょう症などの副作用が現れました。「寝続けていると骨が形成されにくくなるから」と、歩行器を使っての歩行訓練などのリハビリに励む日々。

 それでもステロイドを飲み続けていると症状はなかなか好転していかず、背骨の圧迫骨折が発覚し、ネフローゼと圧迫骨折、両方の治療になりました。大きな負荷をかけての圧迫骨折ではなく、重力によってじわじわと背骨が少しずつ潰れ、最終的に身長が6センチも縮みました。ですが、命の恩人とも言える整形外科の先生が、状態を見ながらリハビリメニューを作ってくださり、それをマジメに実行した結果、潰れはしたもののきれいに骨が固まったのです。「あの深刻な状態から、神経に影響することなくよくここまでもってこられましたね」と褒められたほどです。

父である4代目のおかげで「じっくり穏やかに自分と向き合うことができた」という猫八さん(C)日刊ゲンダイ
今の仕事は天職

 退院後もなるべく背骨に負荷がかからないように、机に座っていても少し前傾姿勢、肘をついて体を支えるよう心掛けました。しかも毎日尿検査をし、陽性になるとすぐ病院に行く日々……。前日までとても体調がよく、検査結果も陰性だったのに、ちょっと風邪をひいたり、疲労やストレスがたまったりすると、翌朝の検査で突然の陽性反応。この瞬間が一番つらかったですね。

 でも、年齢とともにネフローゼの症状も弱まって、少量の薬でも抑えられるようになり、ステロイドをやめて免疫抑制剤で折り合いがつくようになったのが30歳だったわけです。

 思えば、家ではテレビゲームをしたり、絵を描いたり。「別のことに集中していると、余計な力が抜けて良いリハビリになる」と整形の先生から免罪符をもらったものですから、堂々と好きな時間を過ごしてました。そんなことができたのも「何も心配しなくていいから焦らずにな」と、懐深く受け入れてくれた父のおかげです。じっくり穏やかに自分と向き合うことができました。

 治りかけては再発を繰り返す中で、年齢の割に達観したものの捉え方をするようになり、おかげさまでメンタルコントロールがうまくなりました。ひいてはそれが今の仕事にも役立っていますし、昨今のコロナ禍にも動じずにいられました。外出しない、人と会わない、家にいて変化のない日々は闘病していた頃とほぼ一緒ですから。

 病気を経て、つくづくこの仕事は天職だと思いました。とにかく実務時間が短いことが大きいですね。移動を除けば1日15分だけなんてこともよくあります。だから体がヘトヘトになることがないんです。もちろん芸を磨くことはとても大変で、頭は常にフル稼働ですが、これは好きなことなのでストレスになりません。さらに日々の舞台は最高のストレス発散の場でもあります。結果さえ出していけば、34歳からでも受け入れてもらえる世界だったのもありがたかったです。

 今思えば、12年の間に英語でも勉強しておけば、今頃は少し違う活動ができたかな……と、それだけはちょっと後悔していますけどね(笑)。 

(聞き手=松永詠美子)

▽江戸家猫八(えどや・ねこはち)1977年、東京都出身。2009年に父である4代目・江戸家猫八に入門。11年に2代目・江戸家小猫を襲名。12年に落語協会に入会し、今年、5代目・江戸家猫八を襲名した。


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