天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

目の衰えをカバーしてくれた“秘密兵器”

 目の衰えが引き金になり、手術から引退する外科医は少なくありません。私の恩師のひとりも、乱視の進行で心臓手術の第一線を退いています。

 私も42歳を越えたあたりから調節力の低下を自覚し、48歳から暗いと見えにくいという症状に変わりました。いわゆる老眼です。

 もともと強度の近視で、ずっとコンタクトレンズをつけていたところに老眼が重なったため、手術の時、ピントを合わせるのに苦労しました。中心視力を上げると、手元の手術針などの細かいものが見えにくくなってしまう。逆に視力を手元に合わせると、肝心の中心がぼやけてしまうという状態でした。

「なんとなく見えにくいな」と感じると手術中の確認動作が増えて時間がかかるようになります。もちろん、患者さんに影響を及ぼすほどではありませんが、自分の中で0コンマ何ミリ以下の精度がズレてきていることを自覚するようになりました。

 そんな時、「多重焦点コンタクトレンズ」に出合ったのです。遠近両用のハードタイプで、中心も手元も視線を移動させなくてもよく見えるようになりました。

 この“秘密兵器”を知ったのは、NHKの「ここが聞きたい!名医にQ」(Eテレ)という番組に出演した時のことでした。私より6歳も年上で、当時、アナウンサーだった古屋和雄さんがメガネもかけずに番組の台本を読んでいました。何げなく「メガネも必要ないなんて、目がいいんですね」と声をかけると、実は多重焦点コンタクトレンズを使っていることを話してくれたのです。

 そのレンズについては、以前にも同級生の眼科医から「年をとったら使ってみるといい」と勧められていました。「これだ!」と思い立ち、翌日さっそく街のメガネ店を訪れ、多重焦点コンタクトレンズを作りました。

 合わない人もいるのですが、私には驚くほどばっちりハマりました。老眼に悩むことなくはっきり見えていた頃よりも、手術の精度が上がったと実感できるほどでした。

 それ以来、ずっと多重焦点コンタクトレンズを使っていて、いまはもう3代目になります。ただ、学生の頃からやっているテニスには向きません。レンズの特性から、相手が打った速いボールに対応できないのです。ボールが動かないゴルフは問題ありませんが、打ったボールの行き先は追えません(笑い)。

 順天堂大学で手術患者さんが増えてきたタイミングで、視界の暗さも感じるようになりました。手術室の光量が少し足りないと、手先が見えにくいと思うようになってきたのです。

 そんな時に登場したのが、キセノンライトです。手術中に頭に装着するヘッドライトは、それまでハロゲンランプが主流でした。

 ハロゲンは少し黄色っぽい光ですが、キセノンは白い光を発します。ハロゲンの2~3倍の明るさが得られるうえ、光を照らす範囲もハロゲンより広いため、視認性に優れているのです。キセノンのヘッドライトのおかげで、暗さを感じることはなくなりました。

 思い返してみると、私はいつもこうした“出合い”に救われてきました。いよいよ自分も終わりかな……と揺らぎそうになるタイミングで、新しい機器や技術と出合い、それが見事にハマってくれる。そんないい流れをつかめるのです。

 自分は運に恵まれているんだろうなと感じさせられます。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。