天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

「穴馬を狙って一攫千金」の発想はいらない

 これまで紹介してきたように、腎臓疾患やがんといった“合併症”を抱えながら心臓手術を受ける患者が増えているのは、心臓外科だけでなく他科も含めた医療全体が進歩したからだといえるでしょう。

 いくつもの疾患を抱えている患者さんでも、それぞれの治療を続ければ、何年も前向きに生きることができるようになります。ただ、そうした患者さんには、次の疾患の治療が控えています。まず最初に手術を担当するわれわれ心臓外科医が処置をパーフェクトに終わらせなければいけないのはそのためです。「自分が専門にしている範囲のことだけやっていればいい」という外科医では、通用しなくなってきているといえるでしょう。

 医療の進歩に合わせ、患者さんの意識も大きく変わってきました。たとえば、腎臓疾患で人工透析を受けている患者さんの場合、昔であれば「透析を受けているだけで人生おしまいだ」とか、「もし次に何かトラブルがあれば、自分はそこで終わってもいいや」といったような厭世観がありました。

 しかし、今は患者さんの意識がまったく違います。「透析もそれほど悪くない。透析を受ければそれまでと同じような人生を送れるなら、それもいいじゃないか」といったポジティブな患者さんが、ここ10年ほどの間にかなり増えてきた印象です。

 そうした前向きな患者さんの多くは、腎臓の後に心臓が悪いと診断された時、「透析を受けている最中に血圧が急激に下がるので、自分でも心臓が悪いことは分かる。もし心臓を治して透析中のトラブルがなくなれば、それからの人生がまた楽しくなるんじゃないか」と考えるのです。

 ただ、患者さんが前向きなのをいいことに、「こんな新しい治療法がありますよ」とか「今しかこの治療はできませんよ」などと言って、しっかりしたエビデンス(科学的根拠)がない治療を勧める医師がいるのも事実です。これはとんでもないことです。

 前向きな患者さんに対する時も、医師は確かなエビデンスに基づいたさまざまな治療を考察し、今の時点で考えられるベストな方法を選択しなければなりません。その結果、患者さんが多少満足できなくてもそれはそれで受け入れてもらい、医師自身も後悔はしない。そうした“最大公約数”を探すことが大事なのです。

 われわれ医師の世界には、「穴馬を狙って一獲千金」という発想は必要ありません。絶対に「本命馬」で勝負しなくてはいけない。本命馬をよくよく調べてみたらこんな穴があったという時にだけ、「対抗馬」に切り替えればいいのです。

 しかし、時に「大穴」が激走したり、パチスロでいえば「低設定なのに爆発してしまった」といったことが起こるように、医療の世界でも、例外的に非常にうまくいったケースとか、逆に本来ならうまくいかなければいけないのに結果が悪かったといった事態は起こります。それでも、外科医はすべて計算した通りにパーフェクトに処置を終わらせることが理想です。大穴を気にして脇目を振ることなく、それを着実に続けていかなければいけません。

 これは、ギャンブルや対戦型スポーツで勝つための方法論と同じです。過去の統計に基づく確率に裏打ちされた勝負の理論は、医療の世界でも結構、役に立つものなのです。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。