天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

抗がん剤治療に臨むためにまず心臓を治す

 がんを抱えている心臓病患者が、がんの手術ができなくても心臓を手術するケースが増えていることについて、もう少し詳しくお話ししましょう。

 近年、抗がん剤などの化学療法の進歩によって、たとえがんの手術が受けられなくても、何年も生きられるようになりました。たとえば肺がんの場合、かつては手術を受けなければ余命は半年ほどでしたが、いまは抗がん剤治療で3年以上も生きられる患者さんがたくさんいるのです。

 それに伴い、抗がん剤治療を受けるために、まず心臓の手術を受けるという心臓病患者が増えています。抗がん剤は心臓に大きな負担がかかるからです。

 たとえば、現在の抗がん剤治療で重要な役割を果たしているプラチナ製剤は、腎臓への副作用を防ぐために大量の輸液が必要です。それが心臓に普段の生活を超える負担をかけます。

 また、タキサン製剤やビンカアルカロイド製剤など、心筋に対して毒性がある抗がん剤もあります。

 もし、心臓病があって心機能が落ちていると、さらに深刻なダメージを受けてしまう。まずは心臓病を治療して、抗がん剤によって少しぐらい痛めつけられても持ちこたえられるような準備が大切になるのです。

 以前、国立がん研究センターから、肺がんを抱える心臓病患者の手術を依頼されたことがありました。その患者さんはがんのある場所が悪くて手術ができないとのことでしたが、抗がん剤治療で1年は生きられるといいます。それならば心臓の手術を行う意味もあると考え、手術を引き受けました。

 心臓を治して退院した後、結局、その患者さんは1年ほどで亡くなりました。その際、患者さんのご家族がわざわざこちらを訪れてくれて、「おかげさまで、最後の1年間を自宅で一緒に過ごすことができました」と感謝の言葉をかけていただきました。がんは手術できなくても、心臓を手術したことで、患者さんやご家族に喜んでもらえるケースはたくさんあるのです。

 このように化学療法が進歩したことで、腫瘍内科医は治療を始める前に必ず心臓エコーなどの心臓検査を行うようになっています。心臓外科医も、現在の化学療法は以前とどれだけ違ってきているのかといった知識を身に付けておく必要があります。

 以前に比べ、抗がん剤の種類は変わってきていますし、使い方や副作用のコントロールもうまくできるようになりました。“手術万能論”が当たり前だった昔は、がんといえば何でもかんでも手術をしていました。しかし、それが逆に患者さんの体力を奪ってしまい、その段階から治療をしても結果的に予後が良くなかったというケースもあります。

 それがいまは「ネオアジュバント療法」といわれる術前補助化学療法が選択されるようになりました。まず化学療法でがんを叩いてみて、それで完全寛解すればしばらく様子を見ます。もし、がんが再発してきたり、どうしても再発の疑いが取れないような場合は手術をするという方法です。結果的に手術をするにしても、患者さんの体力や全身状態が良くなった段階で行われるため、手術の結果も良くなってきているのです。

 いまの総合病院は、がんについても心臓病についても治療のレベルが上がってきていて、病院による格差もなくなってきています。そのため、がんの化学療法を行う前に心臓病の手術を受ける患者さんは、今後もっと増えるとみていいでしょう。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。