近年、だんだんと増えてきているのが悪性腫瘍、つまり「がん」を抱えながら心臓手術を受ける患者さんです。がんの治療を受けるために精密検査したところ、心臓の状態が悪かったというケースは少なくありません。
かつてなら、両方の病気が発覚した時点で「残念ながら、がんも心臓もあきらめてください」という選択をせざるを得ませんでした。しかし、今はがんの治療にできるだけ影響を及ぼさないような心臓手術ができるようになりました。
しかも、ほんの少し前までは「手術すれば治せるがん」の患者さんしか手術の対象になりませんでしたが、今はほとんどのがんが対象になります。
抗がん剤などの化学療法が進歩したことで、仮にがんの手術を受けなくても、何年も生きていけるようになったからです。抗がん剤の治療を受けるために、まず心臓を治すという場合もあります。がんが発病してから心臓手術に回ってこないケースは、白血病と進行膵臓がんぐらいです。ただ、膵臓がんでも早期の患者さんなら心臓手術を先行することがあり、先日も同様の患者さんを手術しました。
がんを抱えている患者さんの心臓を手術する際、最も気を付けている点は、その患者さんが「もう二度と手術は受けたくない」という気持ちにならないようにすることです。その後に控えているがんの手術を考慮して、患者さんに「こんなものなら、もう1回手術を受けてもいい」と思わせなければいけません。
野球でいえば、先発投手として試合に臨み、打者1人を3球で打ち取りながら五、六回まで抑えていく感じでしょうか。時には、1球でゴロを打たせて片づけていくパターンを続けます。ひたすら淡々と試合を進め、「はい、次どうぞ」とリリーフにマウンドを託す感覚です。そうすると、患者さんはすごくスムーズに次のがん手術に進めるのです。
そうした手術を実現するためには、無駄な時間はかけられません。処置に取り掛かったら、後戻りすることもできません。手術の前に、自分が思い描いていた“図面通り”にミスなく進めることが求められます。だからこそ、心臓外科医としては一番やりがいがある手術ともいえるのです。
しかし、中には「この患者はどうせ進行がんなんだから、これぐらいやっておけばいいだろ」といったいいかげんな態度で手術に臨む心臓外科医もいることは確かです。医師としてあるまじき行為。外科医ならば、むしろ「これほどのチャンスはない」と思わなければいけません。自分の次にがんの手術をする医師が、「これほど手術をやりやすい状況はこれまで見たことがない」と感服してしまうような手術を見せることができる機会だからです。
そのためには、次に行われるがんの手術を想定して、心臓手術を進める必要があります。傷の治りがなるべく早く済むような方法を採用したり、次に手術をする医師が切開をするときに気にならないような場所を選んで処置をすることもあります。
同時に、患者さんが手術後に自分の体を鏡に映して見たときに「こんなに傷痕がついてしまったのか……」と思わせてしまわないような処置もしなければなりません。患者さんが「ここから本当に良くなるんだろうか?」と感じてしまうか、「ここから良くなるんだ!」と感じるかでは、がんの手術も含めたその後の回復度合いが大きく変わってきます。
がんを抱えている患者さんの後々のことまでを想像して、それを実行できるか。これが“先発投手”ならぬ“先発外科医”の役割なのです。
天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」