独白 愉快な“病人”たち

絵本作家 有田奈央さん(36) 脳梗塞

有田奈央さん
有田奈央さん(C)日刊ゲンダイ

 2013年11月のことです。ふと夜中に目が覚めました。頭痛がして、でもガマンできる程度だったので、再び眠りにつきました。そして、いつものように朝のアラームで目覚め、起き上がって暖房のスイッチを入れようとしたら、左手がしびれて動かなかったのです。立ち上がろうとすると、左足も動きません。頭も重くて痛いのです。

 変な寝方をして寝違えたのかな? と思いながら、しばらく横になっていました。でも、30分たっても左半身のしびれはなくならず、動きません。同居している妹に相談すると「風邪でもひいたのだろうから、安静にして寝てたら」と言われました。

 当時、私は絵本作家としてデビューしたばかりで、保育園で給食調理と保育補助のパートをしていました。それまで大きな病気をしたこともなく、疲れが出たのかな? くらいに思って、パートを休みました。

 そのまま横になっていたのですが、気が付いたら夜で、12時間も眠りこけてしまいました。ただ、相変わらず左半身はしびれたままで、ますます動かなくなっていました。お腹はすいているのだけど、動けません。それで、友人に電話をして来てもらうことに。

 駆けつけてくれた友人は、私の様子を見てびっくりし、脳の病気かもしれないからとすぐに病院に電話して救急車を呼んでくれました。幸い近くに脳神経専門の病院があったので、そこに搬送されてすぐにMRI検査をしたところ、「脳梗塞」と診断されて即入院です。右側の脳の血管の一部が詰まっていると告げられた時の衝撃は今でも忘れられません。

 脳梗塞といえば「お年寄りの病気」という先入観があった私は、当時まだ34歳。「なぜ私が!?」と、病室で眠れないまま一体何が原因なのか考えました。運動不足、甘い物の食べ過ぎ、ストレス……。それにしても、脳梗塞で体が動かなくなるなんて、一晩、寝て起きたら全部夢だといいのに……。翌朝、目覚めた時は生きていることに感謝しました。

 治療は点滴と飲み薬で進められ、入院3日目からリハビリが始まりました。私のように半身麻痺などの障害を伴ってしまった場合、発症してすぐにリハビリすることが特に大事だと言われました。麻痺しているからと動かさないでいると、後遺症の度合いがかなり違ってくるというんです。

 リハビリを始めた私は、せっかちな性格のせいか「よし、絶対3カ月で治すぞ」と気合を入れたものです。

 しかし、3週間が過ぎた頃から入院生活にも慣れ、時間的な余裕が出てくると、自分自身と向き合わざるを得なくなりました。

 リハビリしていても、簡単な動作すらできません。もどかしくて、どんどんマイナス思考になり、一種のうつ状態になってしまったのです。酷い時は看病してくれた妹に八つ当たりしたり……。

 それでも、理学療法士さんの励ましでなんとか歩けるようになり、入院から7週間で退院することができました。リハビリ専門病院への転院を勧められましたが、費用もかさむし、週2回、リハビリに通うようにして自宅療養を選択しました。

 家に戻ると、日常生活すべてがリハビリです。いまも散歩は日課で、杖を持たずに、もたもたしながらも家の近所や公園まで。ゆっくりでもいいから、とにかく毎日継続して歩こうという気持ちで歩いています。

 発症してから1年半。左手でグーチョキパーができるようになりましたが、コップやお茶碗を持つのはまだ怖いです。

 病気になってからは、お年寄りや病気の方の立場で物事を考えられるようになりました。そして、妹をはじめ、周囲の人たちへの感謝の気持ちも増えました。絵本を作ることも心の支えになったと思います。

 私の場合、すぐに救急車を呼んでいれば、もっと軽症で済んだかもしれません。今後は、脳梗塞の体験者として、若い人でも危険は潜んでいること、そして何よりも早期発見が重要なことを、たくさんの人に伝えていきたいと思っています。

▽ありた・なお 1979年、福岡県生まれ。2013年に「おっぱいちゃん」(ポプラ社刊)で絵本作家デビュー。同年11月に脳梗塞発症。14年11月、妹と共著の「ずっと健康だと思ってた。34歳脳こうそく克服記」(イーストプレス)出版。公益社団法人日本脳卒中協会主催「サノフィ賞」受賞。