介護の現場

介護のための単身帰郷で離婚の危機

 親の介護をめぐって夫婦が対立。離婚へのカウントダウンが始まることもある。

 東京・町田市の一戸建てに住む藤沢晶さん(仮名、65歳)は、定年を2年間延長し、62歳で中堅の建設会社を円満退職した。

 秋田市の雪深い郊外が故郷で、幼少の頃に父を亡くしている一人っ子。苦労した母の手で育てられた。

 東京の私大を卒業後、親子2人で暮らそうと県内での就職活動に奔走した。だが、将来を見通せるような安定した就職先が見当たらず、やむなく東京で就職した。

 食料店の店員をしていたひとり住まいの母は、まだ元気だった。藤沢さんは毎月、少額の小遣いを仕送りしながら、「会社を退職したら実家に戻るから」と、約束をしていた。

 大阪出身の気の強い妻とは、大阪出張中に知り合って結婚。2児をもうけ、40歳のとき、現在も住んでいる建売住宅を購入した。退職した年に住宅ローンも返済。すでに2人の子どもたちも結婚して孫ができ、別所帯を構えている。

 定年間近になって、藤沢さんは妻に「退職したら、故郷に住まないか」と何度も誘った。ところが、そのたびに妻は「寒い秋田に住むのは嫌だ」と断った。

「女房も一人娘で、両親が大阪に住んでいる。秋田が寒いから嫌だというのは口実で、自分の親まで捨てて、俺の親など面倒見られない、というのが本音だったのでしょうね」

 退職後、半年に1回ペースで帰郷し、2、3日泊まって東京に帰っていた。ところが2年前、82歳になっていた母親が2階の階段から足を踏み外し、大けがを負ってしまう。

 入院した母を介護するため、藤沢さんは単身、故郷に帰った。半年ほどして、杖を利用しながらも、ようやくトイレに行けるほどまでに回復する。だがすっかり足腰が弱り、食事作りや、雨戸の開閉など自宅の管理もできなくなっていた。

 藤沢さんは、妻の要求で退職金と月々二十数万円の年金も均等に分け合っていた。まだ70歳前で、体力にも自信がある。もう少し働きたいし、生活費にも余裕がほしい。故郷の地元紙に出ていた求人広告を見て、派遣店員の仕事を始めた。月収は13万円前後である。妻とは時々、電話で話す。

「考え直して、こっちに来ないかと説得するけど、生返事です。そのうち、居留守でも使っているのか電話にも出なくなりました。手紙を出してみましたが返事も来ない」

 毎朝、勤め先に出る前、藤沢さんは母の昼食を含めた2食分の食事を作ってテーブルに置く。ほとんどはおにぎりだ。仕事を終えると帰宅途中で食材を買い、疲れた体で2人分の夕食を作る。

 休日は、家の掃除や庭の草むしり、1週間分の洗濯をこなす。藤沢さんは母の介護に努めながら、仕事を持った“主婦業”を続けている。