独白 愉快な“病人”たち

プロゴルファー 田原紘さん (72) 一過性脳虚血発作 ㊤

(C)日刊ゲンダイ

 6年前の3月、娘(三女の田原彰乃プロ)と一緒に練習場に行き、一息つこうと、ベンチに腰かけて娘を眺めていたんです。ところが次第に、視界が消えていく。老眼鏡をかけ始めたばかりで、メガネを忘れたかな、と思ったりしながら15~30分座っていたかな。記憶が途切れ、気がつくと周りが大騒ぎしていた。練習場の奥さんが娘に「プロ(私のこと)おかしいわよ」と忠告してくれた。娘は、単に私が疲れて休んでいるのだろうと思っていた。ところが揺り動かしても反応がない。それどころか、みるみる顔から血の気が失せ、全身の筋肉が弛緩していく。頬はたるみ、口は曲がり、見る影もなかったそうです。

 脳梗塞の一種、一過性脳虚血発作でした。
「みんなこんなに騒いで……」

 実は私、頭はハッキリしていて、いつも通り聞こえていました。救急隊員の声掛けにも、自分ではちゃんと答えているつもりだったんです。ところが実際は言葉になっておらず、周囲には危険に映った。娘は「お父さん終わった!」と思ったそうです。あの時、娘の血の気のない真っ白な顔は今でも覚えています。

 30分くらい経った頃、救急隊員に名前を聞かれて答えたら、「プロ、声が出た!」と周囲の人が言う。この時、自分の声が届いていなかったことに気づきました。今度は手を動かすと、「あれ!? プロの顔が戻っていく!」と大声がした。自分がどういう状態か、なぜ人に囲まれているかを初めて理解しました。

 同時に、寝起きにろれつが回らず、救急車で病院に行き、そのまま寝たきりになった知人を思い出しました。帰宅後「救急車を呼んでくれ」と妻に言い、病院に運ばれて3時間後に亡くなった人も。「ひょっとして動かすことがよくないのかも」と考え、私は救急車を断り、その日は落ち着いてから帰宅しました。

 知り合いの医師に電話で指示を仰ぎ、2~3日後に近くの病院でMRIを撮ると、脳の太い血管の端に脳梗塞のあとがありました。その先の毛細血管には血が流れていて問題はなかった。毛細血管に血が回らなくなると脳が部分的に壊死するのですが、そこまでには至らず、治療は血液をサラサラにする薬を飲むだけで済みました。

 ただ、脳の左側に脳梗塞ができたせいで、右半身、特に右肩・腕・手先は以前のようにスムーズに動いてくれず、思った通りのスイングにならない。神経や筋肉の連動ができないんですよね。

 それでも3カ月ぶりにコースに出たときはうれしかった。ゴルフが好きでサラリーマンからプロに転向したくらいだから、久しぶりにグリーンに立った時は涙が出てきたよ。でも、ちょっと良くなると、スコアが90も切れない自分に対するもどかしさが募ってきた。

 記憶も不思議なところで不具合を起こしてね。脳梗塞から3年後、私が監修したパター練習器の宣伝に使う“横書きのサイン”を頼まれた。ところが途中で筆が止まり、30年以上使っているサインが、何度書いても書けない。これができないと、オーストラリア銀行に預けてある全豪シニアオープンの優勝賞金など約1000万円の預金が下ろせないんです。

 こりゃ困った……。(つづく)

■一過性脳虚血発作とは?
 血液の塊(血栓)で一時的に脳の血管が詰まるが、血栓はすぐに流れ、症状も消える。ただし、放っておくと数カ月後に本格的な脳梗塞を起こすリスクが高い。

▽たはら・ひろし 1942年、東京都生まれ。伊藤忠自動車に入社後、30歳でプロに転向。79年KBCオーガスタ2位。96年全豪シニアオープン優勝。97年欧州シニアツアー出場資格獲得、99年東北プロシニアオープン優勝。本紙連載を書籍化した「図解・絶対感覚ゴルフ」ほか、著書は累計200万部超。ゴルフレッスンの神様と称される。