独白 愉快な“病人”たち

料理研究家 重野佐和子さん (52) 大腸がん

(C)日刊ゲンダイ

 腸に異変が見つかったのは38歳の秋でした。日曜日の夕方、トイレで下血したのがきっかけです。かかりつけの内科医を受診すると、様子見で大丈夫だろうと言われたので、その時は1カ月ほど放置していたんです。

 当時は広告や雑誌など、料理の撮影が夜中まで続くのが普通。1日4食、しかも専門がフレンチだったので、バターたっぷりの料理ばかり。実は症状が表れる2~3年前から、食べると腹痛や吐き気、お腹が張るという症状はあったのですが、同業の先輩たちも同じような経験をしていて、加齢によるものだと思っていたんです。

 下血でまず思い当たるのは痔……。でも肛門科なんて恥ずかしい。ところが、馴染みのカイロプラクティックに行くと、「今すぐ、この足で専門医のところに行きなさい」と強く言われて。帰りがけに肛門科の予約を取りました。

 腸の内視鏡検査をすると、急に医師の顔色が変わり、周りがバタバタしだした。S字結腸にポリープがあり、出血している。よくない事態だということが伝わってきて、私はその場で気絶……。目が覚めると、大きな病院を紹介するからと、3つの紹介先から選ぶことを迫られました。

 でも、そんな重要な決断はすぐにはできないと保留にし、その場を去りました。

 結局私が選んだのは、国立がん研究センター。検査をして問題がなければそれでいいし、がんなら徹底して治してもらえると考えたからです。結果は大腸がん。幸い転移もなく、腸を10センチほど切除しただけで済み、2週間で退院できました。

 ところが術後の治りが悪く、退院して2週間後に腸閉塞を起こしたんです。食事のたびに腹痛になることも多く、食べることが怖い。10キロも痩せて、フラフラ。食が恐怖になるなんてショックで……。腸との闘いは1年ほど続きましたね。

 回復食の本を開くと、「病気なんだからまずいものを食べておきなさい」と言わんばかりの気がめいる献立。病人だけ別メニューで、食が苦行のよう。そこで、家族や友人と一緒に食べられる料理を作って、自宅で友人を招いて食べられるようにしたのです。おかゆを中華風にアレンジしたり、ブイヤベースの鍋にして、最後にリゾットにすれば皆で同じものを食べられる。野菜の繊維の切り方を工夫すれば、腸に負担がかからない、身をもってノウハウを蓄積していきました。

 そうやって大腸がんを患った後でも食べられる、おいしくて、家族一緒に食卓を囲めるレシピを本にしました。高齢者でも作れる簡単な本も出版し、今では病院にも置いてもらうまでになりました。

 さらに病気をきっかけに、2007年からお腹にいいお菓子の販売事業を始めました。病後、洋菓子が食べられない時に、一口食べたケーキに感動して「お菓子って心の栄養になるんだ」と思わず涙が出た。それで、バターを一切使わず、おからと豆乳を使ったマフィンをメーンに、腸を患った方でも安心しておいしく食べられるお菓子を作ったんです。

 大腸がんをきっかけに、私の料理への関わり方は大きく変わりました。今はスイーツで日本中のお腹をきれいにすることが私の夢なんですよ。

▽1961年神奈川県生まれ。フレンチの料理研究家として広告・雑誌などで活躍。91年に料理教室を開講。自身の経験を生かした「大腸がん・大腸ポリープ再発予防のおいしいレシピ」「きょうも、おいしく~大腸がん術後の体験談&レシピ」などを出版。焼き菓子ケーキ店「CUP BAKE─Cafe Rico」のオーナーパティシエも務める。店舗URLはhttp://cafe-rico.com