独白 愉快な“病人”たち

元プロレスラー 小橋建太さん (47)

(C)日刊ゲンダイ

 腎臓がん発症からもう8年。摘出手術、現役復帰、そして昨年5月の引退と、今思うと生活の変化に目まぐるしいものがありましたね。昔は朝4時からトレーニング。レスラーとしてとにかく練習最優先で一日のスケジュールを組んでいたのが空き時間にトレーニングする程度に変わった。

◇がん再発かと思ったら…

 そのライフスタイルの変化のせいなのか、昨年11月、左の睾丸が腫れたんです。1週間くらい、何となく股間に違和感があった。

 それが、ある朝起きてダイニングのイスに座ろうとしたら痛い! 見ると、左の睾丸が腫れ上がっていたんです。その夜イベントに行き、イスに座る時はもう跳び上がるほど痛かった。試合で散々痛みに耐えてきた俺でもひどい痛みなわけですよ。座っていて当たるんだから、腫れ具合も相当だった。握り拳ぐらいあったかな……。でも俺は、メロンぐらいに肥大しているような感覚だった。

 いやー驚いた! がんが再発したかと慌てて主治医に電話して、病院にすっ飛んでいきましたよ。がんは5年経過すれば治ったというけれど、腎臓がんは10年様子見。俺はまだ7年目、再発の可能性大だから、最悪の事態も考えました。幸い、体内にばい菌が入って炎症を起こしただけで、薬を飲んだら1週間ほどで治まった。

 今までケガは数えきれないけど、ばい菌なんかに負けたことはなかった。免疫力が弱ったのかな。トレーニング不足なのか、燃え尽き症候群なのか、加齢のせいなのか、どれもあるかもしれない。いつまでも昔と変わらないと思うのはうぬぼれだから、受け入れていかなきゃいけない年になったんだろうな。

「風邪は万病のもと」っていうことわざは本当ですよ。風邪を繰り返してなかなか治らなかったことが、俺のがんの前兆だった。治りが悪いと思っていたら2006年6月、所属していた団体「プロレスリング・ノア」の健康診断で、右腎臓に5センチほどのがんが見つかったんです。ノアは健康診断をしっかり受けさせる団体だったのが、早期発見につながりました。

 とはいえ、がんと診断された時はショックでね。がんの程度も、治療方針も説明なく、事実だけ伝えられたもんだから、帰りのタクシーでは、プロレスラーになってからの思い出が走馬灯のように駆け巡った。いくつものチャンピオンベルトを巻いて、ファンのみんなに応援され、最高のプロレス人生だったな、って。俺の人生=プロレスしかないということを再確認した瞬間でした。

 右の腎臓を切除してからは抗がん剤治療と食事制限。レスラーとしては筋肉をつくるタンパク質が必要なのに、腎臓に負担をかけるからNGなんです。そこで体を保つために脂質だけをとる。鉛筆の芯のように細いエビに分厚い衣のエビフライを食べていました。糖尿病と逆でエビの香りのついた衣だけ食べるようなものでした。

 昨年、おふくろが大腸がんで手術してね。術後にステンレスの膿盆に切除した臓物を見せられ、さすがに引いたけど、「俺も(切り取った)腎臓を見せて、親不孝したな」と思ったね。おふくろは今じゃ元気になって俺より食べてます。これも早期発見のおかげだよ。

 俺を見に来てくれる人たちは、リングを下りても「プロレスラーの小橋建太」を求めているから、きゃしゃな体ではいられない。そのうち現役時代なんて知らない人も増えるだろう。でも、「あのジーサン、いつまで青春してるんだ」って言われたい。6月に初プロデュース興行も控えているし、体をつくらなきゃと思っています。いや、生きている限りトレーニングを続けますよ。

▽1967年、京都府生まれ。87年に全日本プロレスに入団、ジャイアント馬場に師事し、三冠ヘビー級王座、世界タッグ王座などを獲得。数々のけがや病を乗り越えリングに立つ姿から鉄人と呼ばれる。引退後は、肝腎疾患やがんの啓蒙活動にも尽力。6月8日に自身がプロデュースするプロレス興行「Fortune Dream1」を開催予定。