独白 愉快な“病人”たち

コラムニスト 神足裕司さん (56) くも膜下出血 ㊤

(C)日刊ゲンダイ

もともとの私は、かなりのチェーンスモーカーでした。原稿を書いている間は常にたばこをくわえている。お酒を飲んでいる間も、たばこを手放さない。たばこの銘柄はタール17ミリのハイライトで1日に100本は吸っていましたね。

 酒も、相当な量を飲んでいました。自宅にいる時は飲まないんですが、“自宅にいる時”っていうのは週1日か2日。それ以外の週5~6日は、外出して必ず酒を飲むんです。ウイスキーならボトル1本くらいでしょうか。

 当時のおおまかな週間スケジュールを挙げると、月曜日は自宅で原稿、もしくは月1回、地方のテレビ局のワイドショー出演。火曜日はTBSラジオ「キラ☆キラ」出演、その後週刊誌「SPA!」の取材。

 水曜日は「SPA!」の取材後、編集部で原稿書き。木曜日は自宅で原稿もしくはほかの雑誌などの取材や撮影。金曜日は広島入りで取材か、広島入りの前に大阪でテレビ出演。土曜日は広島テレビのスタジオ収録と、ラジオの生放送か収録。日曜日は広島テレビのVTR部分取材、最終便で帰宅――。休みがほとんどない。

 身内に脳卒中や心疾患障害を起こした者はだれもいません。健康診断や人間ドックは定期的に受けていませんでした。ただ、取材でPET検査を受けて、血圧が上180ほどと判明し、「毎朝血圧を測り、治療を受けなければなぁ」と思っていました。これが、2011年7月くらいのことです。

でも、人間、そうはすぐ変わらない。くも膜下出血を起こしたのは11年9月3日土曜日のことでしたが、その週もいつもと変わらずでした。火曜日にはラジオ出演後に新宿で翌朝まで飲み、水曜日は取材で神戸に行き、酒を飲む。木曜日は四国で飲み、金曜日は広島で飲む。1カ月ほど前から友人に頭痛をたびたび訴えていたようですが、その時は深刻に考えていませんでした。

 そして台風が近づいていた3日土曜日、広島空港を19時15分に出発するANA686便に私は乗りました。ところがいよいよ羽田という、着陸体勢に入った辺りで具合が悪くなったんです。かなりの異変に客室乗務員が駆けつけ、偶然同乗していた医師から応急手当てを受けました。

そして、空港で待機していた救急車で東邦大学医療センター大森病院に搬送されました。

 今となっては、その時のことで覚えていることはあまりありません。搭乗口での自分と、具合が悪くなって頭痛がした、くらいまでは何となく記憶に残っている。でも、その後は、夢か現実か、自分でもよく分からない。ずっと仕事を普通にしてきた自分しか覚えていないし、それが正しい記憶なのかも分からない。

 ここから先は家族の話になりますが、娘の携帯電話に救急の担当医から緊急電話があり、「急を要するので携帯を拝見しました。一刻を争います。病院まで来るにはどのくらいかかりますか?」みたいなことを言われたとのこと。意識不明ということや病名までは告げられなかったようです。

大森病院に救急搬送された当日は、破裂した脳動脈瘤の根元の部分をクリップで閉塞する1回目の手術。そして2回目の手術で、もう1カ所の動脈瘤にプラチナ製のコイルを詰めるコイル塞栓術を受けました。

 ところがその後、脳圧が上がってしまった。それによって髄液が頭蓋腔内にたまり、脳室が正常より大きくなってしまう水頭症を予防するために、頭蓋骨を全部外す手術を受けました。

 また、出血による脳のダメージを回復させるために、脳を眠らせる状態が続きました。これは、スキー転倒で岩に頭を強打し、脳挫傷で昏睡状態にいるミハエル・シューマッハと同じ状態にするということです。

 ようやく外していた頭蓋骨を元に戻す頭蓋骨修復手術を受けたのは、発作の1カ月半後。そこから徐々に意識を取り戻していきました。
(次回につづく)

▽こうたり・ゆうじ 1957年8月、広島県生まれ。慶応義塾大学在学中からフリーライターとして活躍。84年に出した「金魂巻(きんこんかん)」で使われた「マル金・マルビ」は同年の第1回流行語大賞を受賞。その後、漫画家・西原理恵子と共著のグルメ本「恨ミシュラン」がベストセラーに。黒縁のメガネと蝶ネクタイがトレードマーク。近著に「一度、死んでみましたが」(集英社)。