Q
31歳の女性です。証券会社勤務です。納期に追われる生活と職場の人間関係に疲れ、昨年からメンタルクリニックに通っていました。しかし、精神科の先生は、診察のたびに薬を増やしたり、変えたりするだけ。失望して通院をやめ、「カウンセリング・オフィス」に切り替えました。臨床心理士の先生は、時間をとって聴いてくれました。でも、ひたすら話を聴くだけ。具体的なアドバイスはありません。私が「つらい」と言えば、「ほお、つらいのですね」というように相づちを打ち、オウムのように返してきます。時折なさる質問といえば、「そのとき、あなたはどうお思いになったのですか?」というようなものばかり。「『どう思った』っていったって、『困ってしまった』に決まっているでしょう」と内心思いましたが、さすがに口に出して言えませんでした。薬だけの精神科医にも失望しましたが、聴くだけの心理士にも失望しました。心理士は、なぜこうも「聴くだけ」なのでしょうか。
A
臨床心理士の多くは、傾聴を心理療法の中心に据えています。傾聴、支持、共感を職業的アイデンティティーとしています。このようなカウンセリング観に影響を与えたのが、カール・ロジャーズというアメリカの心理療法家です。彼は、人には成長を志向する性向が備わっており、傾聴によって受容されたと感じたときに、成長が実現されると考えました。そして、クライアントに対し、批判も助言も控えて、聴くことに徹する「非指示的カウンセリング」を主張しました。
このロジャーズの方法が日本の心理療法家たちの間にも広がりました。その結果、臨床心理士たちは、「ひたすら聴け」「助言や指示をするな」「クライアントが自分自身で答えを見つけるのを手伝うのが君たちの仕事だ」と言われて育ちます。
ただ、ロジャーズの方法の理想化は禁物です。そもそも彼の方法は、彼の生前から「聴くだけでセラピーといえるのか?」「クライアントの言っていることをオウム返しにして、それで本当に成長するのか?」といった批判がありました。そのため、ロジャーズは、自らの方法を「非指示的療法」から「クライアント中心療法」と言い換えました。
しかし、呼称は変えたものの、その本質は依然として徹底した傾聴にありました。無条件の肯定と共感的な理解を示せばクライアントは自分を発見するという、楽観的な人間観がそこにはありました。ロジャーズは、もともと被虐待児のカウンセリングや、青少年のグループ・セラピーをフィールドとしていました。だから彼の方法は、まだ自分自身の姿を見失いがちな若者たちが、人生の先輩たちに鏡になってもらって自分を確認するといった目的なら意味を持ちます。
しかし、本紙の読者は皆、大人です。怒りと不満を抱えつつも顔には出さないで都市の雑踏を淡々と歩いている大人たちです。こういう人たちに、傾聴だけで目的が達すると考えることは的外れといえます。
本紙の読者は、都会という名のフィールドで戦うアスリートです。「自分探し」は必要なくても、「コーチ役」は必要かもしれません。薬だけの精神科医でもなく、聴くだけの心理士でもない、新たな都市型の治療者像が求められているといえるでしょう。
薬に頼らないこころの健康法Q&A