独白 愉快な“病人”たち

司会・タレント 大木凡人さん(70) 大動脈瘤乖離

大木凡人さん
大木凡人さん(C)日刊ゲンダイ

 今年の1月19日の夕方でした。トイレに行ったら、「バーリバリバリバリ~!!」と胸が引き裂かれるような感覚とともに、今まで体験した痛みをすべて足してもかなわないほどの痛みに襲われ、「ギャーッ!」と叫びました。

 すぐに「あの……イテーこの野郎!……あの背中が……とにかく痛くて動けません」と救急車を呼びました。救急車が迷うと困るので芸名を伝え、その場で保険証を渡し、あとは身を任せるだけと思っていた。でも、病院に到着したら名前が本名と芸名が交ざり、ネットのプロフィルと年齢が違うと大騒ぎ。実は妻とは14歳も年の差があり、妻の実家に結婚の挨拶に行くにあたって、妻から4歳若くしておいてと言われまして。

 以来、プロフィルも4歳サバを読み、そのままにしておいた。それが痛みに悶えているときに健康保険証でバレ、痛みをこらえながら、弁明したんです。

 診断は大動脈解離。しかも60センチも裂けていた。左肩のあたりにも動脈瘤が見つかりました。

 家族は医師から「手術しても助からないかもしれない」「助かっても動脈瘤のせいで左手が壊死する可能性があり、腕を切断するかもしれない」と言われたそうです。動脈瘤を切除し、奇跡的に手も問題なく動きました。

 裂けた大動脈は縫うわけでなく、そのまま修復されるのを待つのみでした。

 今まではテレビとラジオのレギュラーに司会の仕事もこなし、休日は1年に2日。その休日もゴルフで休まない。夜は飲み屋10軒のハシゴもザラ。晩ごはんは、乾き物や塩気の多い酒の肴だけ。そんな生活を40年続けていましたからね。ツケが一気にきたんでしょう。

 実は裂ける1週間前くらいから、違和感はあったんですよね。胸の真ん中に500円玉大で1日3回くらい痛くなる箇所がありました。

 それが、こんな大きな病気の予兆だとは全く気づきませんでしたよ。

 この病気は発症するとそのまま悶絶死したり、救急車に運ばれる途中で亡くなる方も多く、致死率は97%と高いそうです。慶応大学脳外科の今西先生によると、私は体力があったから、自分で助けを呼ぶことができ、処置までの間を持ちこたえられたレアケースなのだそうです。

 意識はしっかりしていたので、入院して2日もすると、今度はベッドで寝たきりが苦痛で苦痛で。1時間分のテレビカードを毎日20枚は使いました。病院食も薄味でマズい。それで10日後に1階の食堂でカレーを食べました。フロアを出ると警報が鳴るらしく、お医者さんに怒られましたよ。

 あまりに早く退院させろって騒ぐものだから、少し前に救急で運ばれてきた患者さんについて、「あの人はどうなりました?」と聞いたとき、看護師さんに「亡くなりましたよ、“大木さんと同じ”病気で!」と釘を刺されました。奇跡的に23日間で退院したときも、「大木さんはラッキーなんですからね!」と念押しされました。

 退院から1週間後、1杯飲んだら酔いが回るのが早い早い。以来、お酒はビール1杯、ワイン3杯程度になりました。

 病気のことを公表した翌日からは深夜まで取材対応で、その週の検索ランキングの1位がカンヌ映画祭、2位がAKB総選挙、3位が僅差で私でした。地元の飲み仲間には「なんだー、凡ちゃん、死ねば1位取れたのにな」なんて笑われましたよ。

 今年の夏はさすがにこたえましたけど、仕事は完全復帰! 今は血圧が上がらないように“昔よりは”気をつけています。

▽おおき・ぼんど 1945年、愛媛県生まれ。日本司会芸能協会会長。TBS「街かどテレビ11:00」をはじめ、CM・映画の予告ナレーション、演歌歌手からアイドルまで幅広く司会で活躍。