天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

低侵襲手術は本当に体にやさしいのか

順天堂大医学部の天野篤教授
順天堂大医学部の天野篤教授(C)日刊ゲンダイ
必要ない患者に実施されるケースも

 前回まで、読者の皆さんからいただいた質問に答えてきましたが、またしばらくは、心臓病と治療にまつわるお話をしていきたいと思います。

 今、日本の外科治療=手術は、今後の進歩に向けて大きな分岐点に立っています。患者さんにとって、場合によっては命に関わるような大きな問題なので、現状をしっかり知っておくべきだといえるでしょう。

 これまで、外科治療は“その方法でなければ機能を取り戻せない、健康を回復できない”といった病状に対し、より早くより高度な技術を追い求め、より複雑な状況に対応できる方法を開拓する――という方向性で進歩してきました。

 外科治療で心臓の働きが元に戻ったり、がんが制御できるようになって、患者さんが回復する。そして、回復することによってその外科治療のエビデンス(科学的根拠)が構築され、発展してきたのです。

 ところが90年代に入ると、外科治療に「低侵襲」という方向性が登場しました。治療の負担を軽減し、より患者さんの体にやさしい治療法を推し進める流れが強くなってきたのです。

 心臓手術でいえば、「MICS(ミックス)」と呼ばれる方法が現れました。胸骨を大きく切らない小切開手術で、すべて内視鏡を使って処置するケースもあります。「体の負担が少なく短期間で退院できる」といったメリットが喧伝され、実施する外科医も増えています。

 しかし、問題があるのも事実です。小さく切開した範囲の中で従来と同じような手術を行うわけですから、当然、難易度は上がります。視野は狭くなり、手技も制限を受けるので、それだけ手術時間も余計にかかることになるのです。これまで外科治療が進歩してきた方向性とは逆行しているといえます。

■必要ない患者に実施されるケースも

 明らかに従来の手術より患者さんの負担が少なく、治療効果も遜色がないといったデータが蓄積されてくれば、低侵襲手術に進むことは正しいといえますが、まだ正当性を裏付けるデータが足りない印象です。もっともっと時間をかけて検証するべきで、個人的には今するべきことではないのでは、と考えています。 別の大きな問題も出てきています。何よりも低侵襲ということを優先させるため、低侵襲手術に合った患者さんを無理に探し出し、選択するようになってきているのです。その結果、これまでなら手術はしないような病状の軽い患者さんに対し、「低侵襲手術ができるのだから」という理由で手術するようになります。これは、患者さんにとって決してプラスとはいえないでしょう。

 心臓手術の場合、早い段階で手術をすることがむしろマイナスになるケースが多いといえます。心臓にメスを入れると、術後は一定期間、どうしても心臓の働きが落ちてしまいます。そのことで、脳梗塞など他の合併症を招くリスクがアップしますし、術中に合併症を起こす可能性もゼロとはいえません。手術を受けることで、逆に寿命を縮めてしまうケースもあり得るのです。

 これまでなら手術が必要ない患者さん、あるいは薬物で病状をコントロールできる患者さんを、「低侵襲だから」といって手術する。これが果たして患者さんにとってプラスなのかどうか? 手術だけではなく、術後の回復や合併症のリスクをトータルで考えると、本当に負担が少ないのか? 今の外科医の多くが見失っているポイントといえるでしょう。

 そうした現状に巻き込まれないためには、患者さん自身が賢くならなければいけません。次回、詳しくお話しします。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。