Q
工業高等専門学校の教師をしております。3年生の男子生徒についてお尋ねします。中学の頃、「広汎性発達障害」と診断されていたそうです。ただ、成績は非常によく、高校化学グランプリに学校を代表して出場したこともありました。それが4年生になって物質化学の実験が始まるようになると、不器用さが一気に露呈してしまいました。私どもの科には、走査型電子顕微鏡、電気化学測定装置などの高度な備品もあって、この生徒も当然使わなければなりません。しかし、電子顕微鏡などは誰にとっても使い方が難しく、この不器用な生徒の場合、見ていてハラハラすることも少なくありません。卒業研究もあって、多様な装置の使い方には習熟してもらわないといけないのですが、説明しても理解してくれません。
A
この生徒さんの場合、実験は手技的には下手だが、試験の点数は素晴らしい。となると、知識量は十分にあり、仮説を立てて計画を作り、検証するといった“実験の知的プロセス”には十分に対応できます。あとは、技術的なことに習熟できさえすれば、いい実験をする可能性があります。
精神科医の立場から推測するに、この生徒さんの場合、「宣言的記憶」を「手続き記憶」に変換することが苦手なのではないでしょうか。どういうことか説明しましょう。
人の記憶には、宣言的記憶と手続き記憶があります。頭で理解するのが前者、体で理解するのが後者だと大ざっぱに考えてください。
学校の授業でいえば、理科・社会の授業で習う知識は前者、技術・家庭科で習得するものづくり、音楽の授業で習う楽器の演奏などは後者に相当します。
すべての人がこれら2つの種類の知識を持っているわけですが、両者の知識を相互に変換することは、人によっては難しいものがあります。言葉で説明して理解することと、実際の行動で表現することとは別です。自転車の乗り方を説明できても、自転車に乗れるとは限りません。自転車に乗れる人でも、乗り方を言葉で説明できるとは限らないのです。
先生がこの生徒に装置の使い方を説明して、「わかったか。じゃあ、どうやればいいか言ってみろ」と聞くと、おそらく完璧に言ってみせるでしょう。次に、「じゃあ、やってみろ」と言うと、まったくできなくて皆を驚かせることでしょう。
この生徒に対しては、言葉の説明は伝わらないと思います。指導の基本は「身をもって示す」、学習の基本は「見よう見まねで学ぶ」、それが一番だと思います。「今から俺がやる。次にやらせるから見てろ」と言って、まず先生がやってみせる。その後、「俺がやったのを見たか。じゃあ、次、君がやってみろ」という指導法です。
この生徒には、「次にやらせるから見てろ」と言うことがとても大切です。そう言わないと、先生が「身をもって示そう」としても、何も見ようとしないでしょう。手続き記憶のイメージをつくるための「こころの準備」ができていないからです。「次にやらせるから見てろ」と言われて初めて、先生のやり方を真似ようという気になり、自分なりにイメージをつくりつつ、先生の操作に注目することでしょう。
先生としては、「次にやらせるから見てろ」と言って、やって見せればそれで十分です。言葉で説明する必要はありません。
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