薬に頼らないこころの健康法Q&A

不合格がわかっているのに難関校を受けるべきか

井原裕 独協医科大学越谷病院こころの診療科教授
井原裕 独協医科大学越谷病院こころの診療科教授(C)日刊ゲンダイ
周囲に追い抜かれ、ひとり落ちるのはつらい

【Q】
 受験間近の中学生です。地元の県立P高とともに、隣の県の最難関の私立Q高を受験するつもりでしたが、迷っています。塾で僕は一番できる生徒で、早くからP高校は当確といわれていました。夏休みごろから、少し欲を出してQ高校も受けてみようかという気になってきました。でもQ高校の入試は県立の入試とは違って癖があり、思うように勉強が進みません。そうこうするうちに、もともと僕よりできなかった塾の仲間のA君、Bさんが秋ごろから力をつけてきて、僕を追い抜いてしまいました。彼ら2人は、最近になって僕と一緒にQ高校を受けると言い始めました。このままでは多分、A君、Bさんは合格します。早々に「Q高校を受ける」と宣言した僕は、ひとり落ちることになるでしょう。それはつらいです。いっそのことQ高校は断念しようかとも思っています。

【A】
 Q高校を受けるかどうかは、どちらでもいいと思いますが、あきらめるのは早い気もします。受験は勝負事。やってみなければわかりません。

 私の印象では、夏ごろからの流れをみると、Q高校は受けた方がいいと思います。15の春は、多くの人にとって人生で最初の試練の場です。受験は勝負事ですから、勝者もいれば、敗者もいます。でも、どちらにしても受験は人生勉強の場。「負け戦」を経験することも、また勉強です。

 人生には負け戦とわかっていても、戦わなければならないことはあります。大人になってどこかの会社に就職して、仕事を割り振られる立場になると、誰がやっても失敗する仕事が自分にまわってくることがあるのです。

「中学の国語の時間に習った『火中の栗を拾う』とはこのことだったのか」と思えるような経験です。誰かがやらなければいけない仕事ですから、結局はイヤイヤやらされる羽目になる。そして、予想通り失敗して、皆から非難される。

「この仕事、俺には無理だって言ったじゃないか」

 そうこころの中で呟きたくもなりますが、誰も許してくれない。なんとも理不尽なことです。

 でも、こんな理不尽な経験は、長い人生の中で何度も遭遇します。そんなとき15歳のころを振り返ってみれば、入試だって理不尽な制度です。その日の点数だけで運命を決めてしまいます。それまでの努力なんて評価してくれません。1点でも多ければ勝ち、少なければ負け。こんなむちゃな制度はありません。

 でもそれは、一面では人生の真実を物語っています。人生の中には勝敗を決しなければならないときがある。そして、負けるとわかっていても逃げられないときがあるのです。

 私は、君には「落ちるかも」という不安を抱きながらも、果敢にQ高校を受験してほしいと思います。運よく受かれば、「おめでとう!」。でも、もし、予想通りA君とBさんが受かり、君だけが落ちたとしたら、それこそ背水の陣を敷いて県立の入試に備えればいいでしょう。

 私が一番おそれるのはQ高校を断念するとともに、気持ちが逃げ腰になって、その結果勉強への意欲をなくし、当確のはずのP高校にまで落ちてしまうことです。今の君には、消極的な姿勢はよくない。戦う気持ちを持ち続けることです。そのためには「落ちるかも」とわかっていても、あえて受けるほうがいいように思います。

井原裕

井原裕

東北大学医学部卒。自治医科大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学大学院博士号取得。順天堂大学医学部准教授を経て、08年より現職。専門は精神療法学、精神病理学、司法精神医学など。「生活習慣病としてのうつ病」「思春期の精神科面接ライブ こころの診療室から」「うつの8割に薬は無意味」など著書多数。