独白 愉快な“病人”たち

女優・シャンソン歌手・画家 藤田三保子さん(62) 膠原病

藤田美保子さん
藤田美保子さん(C)日刊ゲンダイ
ガリガリだったのに歩くと内股がすれてむくみを実感

 25歳のときに麻疹(はしか)にかかったんですよ。思えばそれが、この病気を知るきっかけでした。ちょうど結婚して家庭と仕事との両立を始めた頃。麻疹の後、「念のため」と言われて尿検査をすると、高タンパク尿だったんです。医師から「だるくないですか? むくみはないですか? 関節は痛くないですか?』とさんざん聞かれましたが、そのときは本当になんでもなかったので、ときどき尿検査をしながら様子を見ることになりました。

 もともと、疲れ知らずで病気とは無縁。まだ若かったですし、朝から翌朝まで働くハードな時期だったので、多少のだるさはストレスや疲労を回復する時間がないせいだと思っていました。

 自覚症状があったのは、その2年後。深夜まで撮影があり、午前3時に宿泊先のホテルの大浴場に入ったときでした。湯船から出て脱衣所へ向かう途中、歩くと内股がすれるんです。その頃は、ガリガリに痩せていたので“あれ? 変だな”と思って脛を押すとへこんで戻らない。それが、人生初のむくみの実感でした。「むくみが出たら要注意」と言われていたので、“まだ撮影は続くし、まずいな”と思いました。

 ところが、視聴率の関係でその番組の撮影が中止になって、急にまとまった休みが取れたんです。さっそく大学病院へ行くと、「普通、これだけの高タンパク尿なら即入院です」と言われ、「ネフローゼ症候群が考えられる」と告げられたんです。

 その後、主人の縁で紹介された病院で腎臓の組織を取る腎生検を行い、「ループス腎炎」と診断されました。膠原病に伴う腎臓の病気です。自分の細胞を攻撃してしまう膠原病は、原因不明の不治の病。27歳で入院となり、はじめは急性期の治療としてステロイドホルモン剤を大量(10錠)に飲みました。そこから、日々のデータを見ながら4分の1錠ずつ減らしていくんです。

■禁止されていたが投薬中に妊娠

 薬は劇的に効くんですが、副作用として食欲増進とムーンフェース(顔のむくみ)、将来的には白内障の可能性もあると言われました。実際、3カ月半で退院はしましたが、薬は飲み続けるのでムーンフェースのままですし、体は太って女優に復帰できない状態でした。

 そのため、しばらくは家事にいそしんでいたんですが、1年半後に勝手に薬をやめてしまった。そうしたら、2~3カ月で膝に激痛が走るようになって、29歳のとき再び2カ月半の入院を余儀なくされました。当時、小学生だった子供たちに“これ以上寂しい思いをさせてはいけない”と改心し、医師の言いつけをきちんと守ろうと心に固く誓いました。

 ところが、「薬を飲んでいる間は妊娠しちゃいけない」と言われていたのに、妊娠してしまったんです。34歳でした。

 医師から「身体障害児が生まれる確率が通常の25倍」と言われ、人生で一番悩みました。毎日決意が変わり、どうしたらいいのかわからない。そんなとき、救ってくれたのが担当してくれた妊娠腎の先生でした。同じ種類の病気で出産経験もある先生は、悩む私に力強く「藤田さん、産んでから考えなさい」と言葉をかけてくれたんです。そう言われて“母親の強さってこれなんだ!”と思いましたね。それまで、どうにも整理できなかったことが、ストンと腑に落ちて産む決意が固まり、無事に女の子を出産することができました。

 五体満足で生まれてくれたから言えることかもしれません。でも、彼女を産んだから今の自分があるんです。生まれたとき、“この子が20歳になったとき、イキイキと輝いている自分でありたい、表現者でいたい”と思いました。間違っても“昔は有名な女優だったのよ”とは言いたくない。だからいろいろなことに挑戦できた。

 一生飲み続けると思っていたステロイドも、病院を替えたら「ステロイドは切る方向でいく」と言われ、その5年後、50歳手前で本当に終了になりました。

 今はコレステロールを抑える薬と血管を広げる薬だけ。無理をしない、揚げ物は食べない、適度な運動、余計なことは考えない。これが今の健康法かな。

▽ふじた・みほこ 1952年山口県生まれ。NHK朝の連続テレビ小説「鳩子の海」や刑事ドラマ「Gメン’75」(TBS系)をはじめ、映画、舞台で活躍後、25歳で結婚。病気を経験して、朗読、シャンソン、絵画に目覚め、朗読講師、ライブ、絵画展など精力的に活動している。