独白 愉快な“病人”たち

医師・精神科医 宮島賢也さん(42)うつ病

医師の宮島賢也さん
医師の宮島賢也さん(C)日刊ゲンダイ
一生「薬」が必要と言われたが、一冊の本との出合いで変わった

 医師国家試験に合格し、母校の防衛医大に研修医として勤務を始めて2年目のことです。当時26歳の私は、内科救急である循環器内科を専門にしたいと考えており、その研修2カ月目に入っていました。

■研修医時代に発症

 もともとラグビー部出身で、体力には自信がありました。持ち前のガッツでどんなに多忙な仕事もこなせると思っていたんです。

 ところが、雑用、診察、研修医としてのリポート、急患の対応と想像以上に忙しかった。また、“赤ひげ先生”に憧れて「全身を診られる医者になりたい」という思いもあり、すべてに全力で取り組んでいました。しかし、それまでは丸暗記でこなせていた内容も、キャパオーバ―で覚え切れず、回診で患者さんに説明する要点が分からなくなり、頭がパンクすることも……。

 同期がこなしていることをできない自分に劣等感を覚え、自信を失い、「僕の診断は間違っていないか」「患者、家族に訴えられないか」とさまざまなことが不安になり始めたのです。

 朝早く目が覚め、だるさが続き、精液が濁って、血が混じることも。それでも「無理です」とは言えなくて。歯を食いしばって勤務したけれど、ブツブツ独り言を口にするようになり、休職を勧められ、1カ月休養を取ることになりました。

 精神科医になった今は、患者さんには「うまく」「しっかり」「ちゃんと」に固執しないよう提案していますが、その時の自分がまさにそうでした。子供の頃から親の期待に応えてきて、初めて敗北感を味わいました。休養期間を経て、研修先も変わり、肉体的には楽になったのに意欲が出ず、精神科を受診したらうつ病との診断が……。

■根本的な解決を先延ばしにしているのが医療

 ただ、正直ホッとしました。同期と同じコースから戦線離脱したことに“言い訳”が必要だったんだと思います。それからは抗うつ薬を飲みながら、勤務を続けました。薬は、一時的には症状を麻痺させても根本解決ではなく、主治医には「薬は一生飲み続けたらいい」と教えられました。

 でも、ある自己啓発の本に、「医者は“対症療法”の専門家ではあっても“健康”の専門家ではない」と書かれていたんです。結局、医療とは、体が無理しているサインを出しているのに薬で症状を抑えて、根本的な解決を先延ばしにしているものだ、と気づきました。

 その本と出合ったことを機に、33歳で「食」「生活」「思考」を変えました。菜食にして、付き合いも減らしました。若手は呼ばれた飲み会に参加するのがマストだと教えられていましたが、たまには欠席して心の余裕をつくった。そして、薬もやめてみました。

■病気は「気づき」を与えてくれるもの

 34歳で自衛隊の病院から栄養療法のクリニックを経て、36歳の時に自律神経免疫療法を行う「湯島清水坂クリニック」の院長になりました。クリニックには血行改善をサポートする鍼灸師もいて、医師と「ライフスタイルを変えていく」指導が中心。鍼灸や事務などはプロにお任せして、自分の得意分野で力を発揮し、チームでパフォーマンスを上げるようにしていました。

 僕は精神科出身ですが、がん患者の方や西洋医療以外の治療を希望される患者さんも多いですね。うつもがんも、病気は、人間に罰を与えているのではなく、気づきを与えてくれているもの。だから、「自分を大切に生きませんか」と患者さんに提案しています。うつを含め、病気は「生き方直しの体からの愛のメッセージ」。実体験を通し、「自分を愛して、自分を信じて、自分を生きよう」と発信し続けたいと思っています。

▽みやじま・けんや 1973年、神奈川県生まれ。元湯島清水坂クリニック院長(精神科医)。7年間にわたる薬物によるうつ病治療の経験から、考え方や生き方を変えて、人間関係を楽にするメンタルセラピーを提唱。著書に「医者の私が薬を使わず『うつ』を消し去った20の習慣」(KADOKAWA)がある。