Dr.中川のみんなで越えるがんの壁

【村田喜代子さんのケース】子宮体がん 標準治療の手術を拒否する選択

村田喜代子さんのケース
村田喜代子さんのケース(C)日刊ゲンダイ

 がん患者さんにとって参考になることも多いでしょう。2011年、東日本大震災の翌日に子宮体がんの告知を受けた芥川賞作家の村田喜代子さん(71)は、このほど放射線治療を選んだ経験と原発事故を誘発した大震災を重ねて描いた最新刊の長編「焼野まで」を上梓。闘病の節目の5年に合わせるように、旭日小綬章の受章が決まりました。

 子宮体がんは、一般に手術が標準治療になっています。子宮と卵巣、卵管を切除。施設によってはリンパ節をあわせて切除することもあります。がんの根治が目的で、村田さんも手術を強く勧められたそうです。

 確かに早期なら手術で子宮体がんを根治できますが、女性ホルモンを分泌する卵巣を失うと、更年期障害などが強く出ます。さらには排尿・排便障害、リンパ節切除に伴う足のむくみもひどい。術後後遺症で「執筆活動が困難になる」ことを恐れ、村田さんは手術を拒否。子宮頚がんと違って、医学的には勧められない放射線治療を選択しています。

 福岡の自宅に夫を残して鹿児島でマンションを借りて1カ月。毎日通院しながら強い放射線のピンポイント照射を受け、がんは消え、節目の5年目を迎えた今も幸い転移はないそうです。

 作品では、放射線治療に伴う倦怠感(放射線宿酔)から夢うつつをさまよう主人公「わたし」の姿が描かれるシーンがあるように放射線の副作用もゼロではありません。「わたし」は放射線酔いに苦しみながら、事故で崩れた原発を幻視したのはとても苦しかっただろうと察します。放射線で皮膚や内臓の粘膜がただれることもまれではありません。

 それでも、副作用は一時的。切除手術に伴う後遺症は長く続く点で、その影響は大きく異なります。治療後の生活をどうするか。そこに焦点を当てると、標準治療の手術を拒否して、放射線治療を選択することも、その人の価値観によってはあり得ることでしょう。

 村田さんの「がん友達」で、昨年乳がんで亡くなられた直木賞作家の杉本章子さん(享年62)も、がんの治療をほとんど受けなかったことが話題になりました。

 杉本さんは幼いころに小児麻痺を患い、亡くなるまで松葉杖が手放せませんでした。「松葉杖を脇で挟めなくなるのは困る」と手術を拒否。わずかな間でも書けなくなることを恐れて抗がん剤治療も断ったそうです。執筆しながらご両親の介護もされていて、介護ができなくなることを恐れたのも、手術や抗がん剤を拒否した理由と伝えられています。

 村田さんの作品には、がんで放射線治療を受ける妻の姿を夫の視線で描いた「光線」や、放射線治療でがんが消えた妻が夫と一緒に南国の海岸を歩く「原子海岸」といった短編作品もあり、患者さんががんと向き合う上で参考になるかもしれません。

 おふたりとも、治療法選択の軸に据えたのは、自分や家族との生活です。ぜひ、読者の皆さんも参考にしてみてください。

中川恵一

中川恵一

1960年生まれ。東大大学病院 医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授。すべてのがんの診断と治療に精通するエキスパート。がん対策推進協議会委員も務めるほか、子供向けのがん教育にも力を入れる。「がんのひみつ」「切らずに治すがん治療」など著書多数。