薬に頼らないこころの健康法Q&A

心のケア不要 被災者に必要なのはプライバシーと薬剤確保

井原裕 独協医科大学越谷病院こころの診療科教授
井原裕 独協医科大学越谷病院こころの診療科教授(C)日刊ゲンダイ

 気の毒な被災者がいる。悲嘆に暮れている。そこにボランティア医師がやってきて、お話をうかがう。話しているうちに感極まって泣き始める被災者。大きくうなずき、温かい言葉をかけながら、被災者を包み込むような医師。そうして、涙、涙だった被災者に、次第に安堵の表情が浮かび、晴れやかな笑顔が戻る。最後に、「話を聞いてもらえた。先生、ありがとうございました」、そう感謝の言葉を述べる……こんなシーンをテレビは流したいのだと思います。

 テレビ制作者の思惑は分かります。美しい「心のケア」の場面を番組に挿入して、震災報道の悲惨さを和らげたいのでしょう。

 しかし実際には、被災地にテレビが好むようなドラマチックな「心のケア」ニーズは多くありません。

 2011年3月11日、震災発生直後から「心のケア」の必要を強調する報道が大量にされました。全国の精神保健関係者は「心のケアチーム」を結成して現地に送り込み、被災地はボランティアたちであふれました。

 3カ月後の同年6月22日、読売新聞に意外な見出しが躍りました。

「拒否される心のケア…被災者、質問に辟易」

 記事によれば、次々にやって来るボランティアたちに、迎える側が困惑。ついに「『心のケアチーム』お断り」を宣告したといいます。新たに訪れたボランティアたちは、現地に到着するや否や「ここでは『心のケア』と名乗らないでほしい」と避難所の責任者にくぎを刺されました。ボランティアたちは当惑し、「何かご迷惑でも……」と途方に暮れ、失意とともに現地を去ったのでした。

■被災者にとってボランティアは「異邦人」

「心のケア」という言葉で第一にイメージすることは「悩みを聞くこと」です。しかし、実は、ここに誤解の淵源がありました。ボランティアたちは、被災者にとっては、突然やってきて一瞬で去っていく異邦人にすぎません。

「よそ者に心の中を打ち明けて、何の意味があるのか」

 そのように被災者が思ったとしても、それは無理もなかったのです。

 震災後、被災者たちの心身の健康を支援することは必要です。しかし、「心のケア」の虚実の乖離は認識しなければなりません。「心のケア」とは一種の「行政用語」「マスコミ用語」であり、現場で求められることは、言葉でイメージされるような「お悩み相談」ではありません。

 阪神・淡路、東日本大震災などの支援を通じて、精神保健従事者は災害精神医学の実践知を蓄積しています。このようなことから、被災者の被害体験に触れるような「心のケア」は、かえって有害だと認識しています。

 それでは、精神保健ボランティアたちは、今、現地で何をしているのか。それは、地震直後にあっては、地域の保健資源の現状把握と被災者のプライバシーの尊重、心の持病を悪化させないための薬剤供給の確保でした。

 今回の震災後、すでに25日が経過した現在は、被災者の生活習慣の改善が課題となります。精神保健ボランティアたちは、「睡眠」「食事」「運動」「節酒」など、健康維持の原則を被災者たちに説いています。そのような活動は一見すると地味であり、テレビ番組としては映えないかもしれません。しかし実際には、「心のケア」のお決まりのドラマより、はるかに意義があり、尊い活動です。

 災害復興は長期戦です。被災者の心身の健康が第一だということに変わりはありません。

井原裕

井原裕

東北大学医学部卒。自治医科大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学大学院博士号取得。順天堂大学医学部准教授を経て、08年より現職。専門は精神療法学、精神病理学、司法精神医学など。「生活習慣病としてのうつ病」「思春期の精神科面接ライブ こころの診療室から」「うつの8割に薬は無意味」など著書多数。