薬に頼らないこころの健康法Q&A

少年による殺人事件 実は年間100件未満で推移している

井原裕 独協医科大学越谷病院こころの診療科教授
井原裕 独協医科大学越谷病院こころの診療科教授(C)日刊ゲンダイ

 5月に都内のマンションで41歳の女性が死亡しているのが見つかり、高校1年の長女が殺人容疑で逮捕されました。このような事件が起きると、コメンテーターたちは判で押したように、「少年事件の増加」と「こころの闇」という言葉で事態を語りたがります。

 実際には、少年(10歳から19歳まで)による殺人事件は増えていません。ここのところ、一貫して低い件数が続いています。かつては、少年による殺人(含未遂)事件は、ほぼ毎年200件を超えていました。ピークが1951年の448件。それ以降下がり始め、1975年には100件を切りました。以来、現在まで、1998年から4年ほど100件超を記録した以外は、一貫して100件未満の低い値で推移しています(「犯罪白書」から)。

 若年者人口によって補正しても、結論は変わりません。藤川洋子氏(臨床心理学)が「総務省統計局人口資料」によって、殺人(含未遂)発生率(10万人当たりの件数)を試算したところ、1988年が0.47、2004年が0.48で、ほぼ同値でした。2001年の少年法改正以降は既遂件数についてもデータがありますが、平均すれば1年に10人台。多めにとって20人としても、殺人既遂率は0.16です。アメリカの10歳以上18歳未満の殺人率2.3や、18歳以上21歳未満の殺人率13.6と比べても、日本の少年たちの「殺さなさぶり」は歴然としています。

■少年たちが抱える「攻撃性」

 もっとも、「それでも少年たちは、『こころの闇』を抱えているのではないか」と問う人もいるでしょう。

 彼らは「こころの闇」を抱えてはいません。彼らが抱えているものは何か。それは、かつて若者であった大人たちは皆、知っているはずです。そうです、彼らが抱えているのは「攻撃性」なのです。

 そもそも、かつて青春ドラマに描かれた若者群像は、どれも乱暴な姿ばかりでした。高齢者世代にとって懐かしい映画を例にとれば、J・ディーン「理由なき反抗」(1955年)、石原裕次郎「太陽の季節」(1956年)、F・トリュフォー監督「大人は判ってくれない」(1959年)、A・ペン監督「俺たちに明日はない」(1967年)、P・フォンダ「イージー・ライダー」(1969年)など、どれも乱暴な若者が主人公です。

 団塊の世代の場合、現在は60代後半にさしかかっていますが、若かりし頃は「造反有理」の旗印の下にムチャなことをしていました。世代最高の知性のはずの東大生すら、教授たちを縛り上げて安田講堂を占拠するという暴挙に出ていました。

 その次の世代は、「シラケ世代」とか「新人類」などといわれましたが、今ではもう50代。この世代に属する尾崎豊は、「シラケ」どころか熱すぎて、校舎の窓ガラスを壊したり、バイクを盗んで走り出す少年の心性を歌って、その過激さたるや「旧人類」並みでした。

 尾崎豊が人気絶頂であった1988年には、東京都足立区で少年による女子高生コンクリート詰め殺人事件が発生しています。犯人たちは、今では40代のおじさんです。

 とにかく、若者は乱暴です。思春期は、暴力衝動が急激に高まる年代。それは万古不易の真実。自分の胸に聞いてみたら、すべての大人たちが身に覚えがあるはずです。あの激しい衝動こそが若者のリアルな姿です。この明々白々たる事実から目をそむけて、「こころの闇」などというあいまいな言葉でごまかしても意味はないのです。

井原裕

井原裕

東北大学医学部卒。自治医科大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学大学院博士号取得。順天堂大学医学部准教授を経て、08年より現職。専門は精神療法学、精神病理学、司法精神医学など。「生活習慣病としてのうつ病」「思春期の精神科面接ライブ こころの診療室から」「うつの8割に薬は無意味」など著書多数。