病院は本日も大騒ぎ

人生観を変えた恩師の下の世話

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 こんにちは! 関東圏の総合病院に勤務している看護師のトモ子です。

 先日、学生時代の知人で、いまは訪問看護ステーションで働く看護師と話をする機会がありました。

 彼女とは学生時代に格別に仲が良かったわけではありません。ただ、当時のスカしたイメージと違い、明るく世話好きな女性に変身しているのに驚きました。

 かつての同級生や共通の友人の話でひとしきり盛り上がったのですが、学生時代のある恩師の名前が挙がったとき、友人が急に黙り込んでしまいました。
“あれ、何かまずいこと聞いちゃったのかな”“ひょっとして男女のお付き合いでもあったのかしら”なんてよこしまな想像をめぐらしたのですが、違いました。彼女が以前担当した患者さんが、その恩師だったというのです。

「名前を聞いて、どこかで記憶があるなあと思っていて、お宅に伺ったら先生だったのよ」

 彼女はそう言うと、少しさびしそうな顔をしていました。彼女は恩師の食事の介助やオムツを替えたりしたそうです。それ以外、細かくは語りませんでしたが、「恩師のオムツを替え、排泄物の処理をして、ある意味、人生観が変わった」「人はひとりでは生きられない」「人には優しくしなければダメ」と強く思ったそうです。

 私も彼女と同じような経験があります。私が勤務する病院に学生時代の先生ががんで入院し、お世話をしました。かつては、あれほど立派で堂々としていた先生が、弱々しく、わがままに振る舞われるのを見て、人間のむなしさを感じたものです。

 どんな人も、いずれは年老いて体の自由が利かなくなり、人のお世話にならざるを得ません。たとえ、世間で高い評価を受けている人でも、不遇だった人でも同じです。

 そのとき、初めて生の人間としての評価が下る。私はそう思うのです。

 結局、賢く、優しく、可愛げのある人は周りから大事にされますが、そうでなければ邪険にされます。

 そのことを見てきた私は、どんなときも、できる範囲で、優しく、賢く、人に接しようと心がけています。

 看護師のイメージが「優しい」と言われるのは、仕事を通じて人間について学ぶからではないでしょうか。かつての知人と話してみて、それを強く感じました。