Dr.中川のみんなで越えるがんの壁

【南果歩さんのケース】手術後に分子標的薬を投与する理由

女優の南果歩
女優の南果歩(C)日刊ゲンダイ

 順調に治療が進んでいるようです。女優の南果歩さん(52)が4日、「ハーセプチン治療が始まる」とツイッターで報告しました。ハーセプチンは、抗がん剤とは異なる仕組みで働く分子標的薬。この薬の登場で、乳がん治療は大きく変わりました。南さんの治療状況が順調とみられるのは、そのためです。

 2001年に承認された時は、別のがんが乳房に転移した乳がんの治療薬でした。その後、適用が拡大され、今は再発予防に使われます。3月に手術を受けた時点で、術後の再発予防としてこの薬の投与を計画していたのでしょう。

 米国のMDアンダーソンがんセンターの研究チームは、従来の抗がん剤にハーセプチンを加えたグループと抗がん剤のみのグループを比較。それぞれのがん細胞を顕微鏡で調べたところ、完全に消えている割合がハーセプチン併用で65%と、26%の抗がん剤グループを圧倒。国内の臨床試験でも、その割合はハーセプチン併用で46%に上っています。抗がん剤だけだと、大体10~20%程度ですから、ハーセプチンの効果が見て取れます。

 なぜこれほどの効果が得られるのかというと、ハーセプチンの薬の効き方にヒントがあります。がん細胞の表面には、人によってHER2というタンパク質が過剰に出現していて、このタンパク質はがんの増殖にかかわっているとされます。それと結合して増殖をブロックするのがハーセプチンです。

 一方、従来の抗がん剤は、がんの原因となるようなDNAの複製や細胞分裂を抑える働きがあって、腸管や骨髄、毛根など細胞分裂が盛んな正常な臓器や組織にも作用します。副作用として下痢や吐き気、嘔吐、白血球の減少による免疫力の低下、脱毛が生じやすいのはそのためです。

 がんに特異的に存在する分子にターゲットを絞ってピンポイント爆撃を仕掛けるのが、分子標的薬のハーセプチンで、体内に広くじゅうたん爆撃をするのが抗がん剤というイメージと思えば、理解しやすいでしょう。ハーセプチンにも悪寒や発熱などの副作用がありますが、抗がん剤ほど重くはありません。

 抗がん剤との併用のほか、単独投与もできます。手術の前にも後にも、使用可能です。投与は1年。術前投与でがん細胞が消える可能性もゼロではなく、そうすれば手術をせずに済みます。腫瘍は消えずとも、3センチ以下になれば、乳房温存手術に切り替えることも可能です。

 そう考えると、手術前に投与する方がメリットが大きいように思われますが、南さんは5月に舞台出演していることから推測すると、仕事のことを考えて治療スケジュールを組んだのだと思われます。余裕を持って対応できる病状だと考えることもできるでしょう。

 乳がんの方にとって福音となる薬なのですが、「人によって」と書いたのがミソ。HER2は、すべての乳がんに表れるわけではなく、乳がん患者全体の20%ほど。つまり、乳がん患者のうち5人に1人しか適用になりませんが、ハーセプチンが効くタイプでなくても、乳がんは早期なら治る可能性が高い。期待の新薬に頼るより、南さんのように早期発見、早期治療を心掛けることが何より大切です。

中川恵一

中川恵一

1960年生まれ。東大大学病院 医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授。すべてのがんの診断と治療に精通するエキスパート。がん対策推進協議会委員も務めるほか、子供向けのがん教育にも力を入れる。「がんのひみつ」「切らずに治すがん治療」など著書多数。