独白 愉快な“病人”たち

内藤やす子さんは公演中に脳出血 倒れて数年間の記憶なし

内藤やす子さんは禁煙にも成功
内藤やす子さんは禁煙にも成功(C)日刊ゲンダイ

 倒れたときのことはおろか、その数年前からの記憶もおぼろげなんです。

 幼いころの記憶は鮮明ですが、自分が歌手だった過去もあまり思い出せなくて、私、公演中に倒れたんですってね(笑い)。それからどうして過ごしたのかも数年間は分からない。気づいたのは5年ぐらい前でしょうか。その辺りからやっと記憶がある感じです。

 夫の話によると、倒れたのは2006年、福島でのディナーショーの最中だそうです。救急搬送されて脳出血と診断されましたが、出血量が少なかったのと、危険な状態ではないということで、手術をせず、投薬治療になりました。

 後遺症は、言葉がうまく出てこない失語症、右半身まひ、徘徊などをしてしまう認識障害もあったようです。そして、自分が何者であるかも忘れてしまう記憶障害。でも、どうしてだか夫の顔を見たときには「マイハズバンド」と言ったそうです。不思議ですね(笑い)。

 運ばれた福島の病院は、3カ月ほどで退院しましたが、その後は東京に戻って病院へ通う日々を送りました。写真が残っているので、「ああ、こんなことしてたんだ」と思うくらいで、つらかったか楽しかったかも、まるで記憶がありません。こう言ってはなんですが、“ただ生きているだけ”でした。ただ、そこにあるものを着て、出されたものを食べ、不安もなければ幸せもない「ゼロ」だったんです。

 それが少し変わってきたのが5年ほど前かな。リハビリのひとつとして、発声練習をやり始めました。夫が考えてくれたことです。週に1回、2時間の練習です。

 あまり覚えてないんですけど、声を出すことは楽しかった。過去のビデオなども一切見なかったですし、家で鼻歌が出るようなこともなかったけれど、先生のところへ行くのは楽しみでした。

 感覚としては、いつの間にか歩けるようになっていたし、そのころから右手で物が持てるようになった気がします。

 そして、自分というものを取り戻してきた去年の3月ごろ、プロダクションの社長から電話があって、直接お会いしたんです。そのとき、社長から「もう一回やるか?」と言われて、「やります!」と即答したんですよね。自信も自覚もないのに、なんでそんな返事をしたのか分かりません(笑い)。

■復帰の重圧で胃潰瘍に

 実は東京に戻ってからも、子宮の病気やら何やらで、救急車で運ばれることがあったんです。そのたびに社長が入院費を出してくれていたので、恩返ししたい気持ちがあったのだと思います。

 それから、本格的なボイストレーニングを10カ月して今回の復帰になったんですけど、始めて4~5カ月目に胃潰瘍で倒れて入院しました。ボイストレーニングは楽しかったのですが、復帰に対するプレッシャーがあったんでしょうね。“復帰”というと、私は初めてじゃないので……(笑い)。

 脳出血の原因はいくつかあるんですけど、私の場合は、たぶんお酒とたばこ、それから塩分の取り過ぎでしょう。以前は毎日、バーボンを1本半、たばこは5箱、濃い味のものが好きでした。今はたばこの煙が大嫌いで、隣で吸っている人がいると避けたりするくらい気づいたら嫌いになっていました。夫も愛煙家でしたが、3回挫折しながらも禁煙に成功。食事も作ってくれるようになって、今は夫の作る料理に慣れて薄味好きになりました。

 ただ、お酒だけはやめられないですね(笑い)。医師には禁酒を勧められますが、これだけは無理。でも、ウイスキーの水割りを4杯までと決めて、ちゃんと守っていますよ(笑い)。

 ここまでこれたのも、夫が献身的に尽くしてくれたおかげです。食事も掃除も洗濯もみんな夫がやってくれています。今回、復帰することができたことを夫は「心から拍手を送りたい」と言ってくれます。周囲の人から私の歌を褒められるみたいで、「鼻高々だよ」って笑っていました。

 復帰のシングルは、そんな夫のことを思って歌ってほしいと言われた静かなバラードです。詞が全部いいんです。私の場合は夫ですけど、家族や友達、恋人といった大切な人を思いながら歌うと、胸が熱くなる前向きな歌です。

 復帰ライブは立ち見の人がいるくらいの満員で、ありがたいなと思いました。次は応援し続けてくれている方々に恩返しする番。今、歌えることがとても幸せです。

▽ないとう・やすこ 1950年、神奈川県生まれ。75年「弟よ」でデビューし、翌年の新人賞を総なめにする。その後、一時活動休止などもありつつ、89年と90年には「NHK紅白歌合戦」に出場。95年には21歳年下のオーストラリア出身の英会話教師と結婚。ニューシングル「あなたがいれば」他を収録したCD&カセットが好評発売中。