医師語る 「こんな病気で死にたい」

専門である肝臓がんなら受け入れられるかもしれない

同業の妻には「告知しないで」と話している
同業の妻には「告知しないで」と話している(C)日刊ゲンダイ
帝京大学ちば総合医療センター内科(消火器)病院教授 小尾俊太郎さん

 進行肝がん患者さんの“駆け込み寺”として、これまで多くの患者さんとお会いし、そしてみとらせていただきました。私が外来を担当している病院のひとつ杏雲堂病院では、年間約150人の患者さんが亡くなられています。日本の肝臓がん死亡者数は約3万人なので、その0・5%を担っている計算です。その中には若い方もいれば高齢の方もいる。健康を気遣っていた方もいれば、不摂生をしていた方もいます。でも、人間はいつか必ず亡くなります。

 この現実を前に、私が常に考えているのは、「今日一日、精いっぱい元気に暮らそう。夜ベッドに入った時、今日一日生きられたことに感謝して休もう。仮にそのまま永眠しても後悔しないだろう。そして、翌朝も目が覚めれば幸せ。それを365回繰り返せば、結果として一年が経っている」ということです。

■安らかに眠るように逝ってしまう

 私が専門としている肝臓がんは、比較的症状が少ない疾患です。消化器内科では、手術が不可能な胃がんや大腸がんの患者さんを診る機会が多くあります。今でこそ、化学療法が格段に進歩して、患者さんが長生きできるようになりましたが、私が医師になりたてのころは悲惨でした。

 その中で、肝臓がんの患者さんは食事も取れます。最後は昏睡になるため、最後の最後まで苦しむことは少なく、安らかに眠るように逝ってしまいます。肝臓が働かなくなると、アンモニアという毒素を肝臓が処理しきれなくなり、脳の活動が低下してしまうからです。意識がもうろうとしますので、痛みや死への恐怖は少なくなると思います。ですから私自身、何かのがんになるのなら、肝臓がんがいいかなと考えています。

 学生時代、今は亡くなられた作家の渡辺淳一氏の著書をよく読みました。彼のエッセーで非常に共感を覚えたものがあります。渡辺氏が「どう死にたいか」について述べているのですが、ウイスキーを飲み、雪原にバタンとあおむけに倒れ、降りゆく雪に酒で火照った頬を冷やされながら、次第に意識を失って死んでいきたいというのです。

 痛い、苦しい、つらいといったマイナスの感情より、「気持ちいい」というプラスの感情が先に立つ表現に、私にとっても理想的だなぁと、当時思いました。「肝臓がんなら受け入れられるかもしれない」という話とも通じていて、私もできることなら、痛みや呼吸困難などで苦しまないで楽に逝きたいと思っています。

■同業者の妻に「病名は告知しないで」

 自分で言うのもなんですが、実は病名の告知も受けたくありません。同業者である妻には「告知はしないでほしい」と話しています。下手なウソに乗りたい。そして、つらくないように、うまく逝かせてくれればいいと思っています。ぜいたくを言わせていただければ、ほどよい年齢で、家族にみとられながら死ぬのが理想的ですね。妻に先立たれ、一人残されるのは、やはりつらい。

 がんには、さまざまな「苦痛」があります。肉体的苦痛、精神的苦痛、社会活動に参加できない苦痛、スピリチュアルペインなどです。緩和ケアというと「末期から」との認識が強いですが、本来はがんと告知された瞬間からのもの。早い段階では精神的なサポート、それが徐々に肉体的なサポートへと重点が移行していくものなのです。

 痛みや苦しみがなく、そして周囲に支えられながら人生を全うする。私自身そうありたいですし、患者さんにもそういった医療を心掛けていきたいと思っています。

▽おび・しゅんたろう 1965年生まれ。91年帝京大学卒業。東京大学名誉教授の小俣政男氏(消化器内科学専門)の下、進行肝がんの臨床に打ちこむ。佐々木研究所付属杏雲堂病院肝臓内科科長などを経て、2016年から母校に戻り、後進の教育と地域医療を担っている。日本内科学会認定内科医、日本消化器病学会専門医・指導医、日本がん治療認定医機構がん治療認定医、東京大学医学部非常勤講師、香川大学医学部非常勤講師。