独白 愉快な“病人”たち

映画監督・俳優の佐野和宏さん 下咽頭がんから復帰まで3年

佐野和宏さん
佐野和宏さん(C)日刊ゲンダイ

 覚悟して病院に行ったので、「ステージ4の下咽頭がん」と宣告されても驚きはなかったですね。

 体に異変があったのは5年前。へんとう炎みたいな感じで、ちょっとのみ込みにくくなった。でも、そのうち治るだろうと思っていたんです。それが2年経ち、酒ですらのみ込みづらくなってきて、「これはヤバいぞ!」と思いつつ、病院が嫌いでまた3年……。都合5年間、放置していたんです。

 ステージ4では、化学療法だけでは完全にがん細胞を除去できないような状態だったので、手術を選択しました。すでに「死」も覚悟していたので、手術も必要ないんじゃないかなと思っていましたが、主治医の「治すために手術するんです!」という一言が決め手になり、手術と抗がん剤治療を行うことにしました。

 原因は強い酒とたばこでしょうか。たばこは1日2箱。酒は焼酎やウイスキーをヘタるまで飲んでいましたね。肝機能障害や糖尿病を併発していると術後に出血するらしく、俳優の先輩はそれで亡くなったんですが、僕は運良く他に疾患がなかったので助かった。

 術後は昏睡状態が数日続きました。その間はトリップしていて、空を飛んだり楽しかった。

 その時に見た、大きな洞窟の中に石仏がある風景もよく覚えていて、スリランカあたりにあるんじゃないかといま探しているんです。そんな状態から徐々に現実に戻ってきたので、声を失ったことも割とすんなり受け入れられましたね。

 手術で性欲が失せるとかはなく、男としてはさほど変わりはなかった。寝たきりでふくらはぎがヒラヒラ、体重が10キロも減ったので、なるべく車椅子を使わず自力で歩き始め、病室を抜け出し、納豆とか食べやすくて栄養になるものを買いに行きました。

 術後1カ月あたりからは外泊もしていたし、そんなにセックスがご無沙汰になることはなかったな。病気だからできないなんてない。大丈夫ですよ。

 それより、入院中は何もしないで済んだ分、3カ月で病院を放り出されてから自立することのほうが結構大変で、仕事に復帰するまでに3年かかりました。

■声がでなくてもどうにかなる

 がんで衝撃だったのは、抗がん剤の副作用で何カ月も口内炎ができ続けたことと、味覚障害。何を食べても味がしないから、食欲が湧いてこない。でも食べないと病気に負けてしまうので、視覚と触覚と記憶を駆使して食べていました。

 食べる楽しみがなくなることがこんなにショックだとは思ってもみなかった。5年経ち、今は「すする」ことができないことが不便ですね。鼻水が出るとティッシュが手放せないし、麺類を食べる快感が半減している。

 3年前、仲間が僕に仕事をオファーしてくれて、こんな状態でも役者として使いたいと言ってもらえて大変ありがたかった。今度公開された映画「秋の理由」では、寺島しのぶさんと夫婦役で、心因性で声を失った男の役を監督が僕のために作ってくれました。現場復帰し、みんなで作り上げること、どんな人だかわからない共演者と作品を軸に関係を構築するワクワク感……やっぱり現場は楽しい。

 声が出なくてもどうにかなるもんですよ。息に近い声と口と身ぶりで近くにいる人には大抵伝わるし、遠くにいる人には、近くにいる人に頼めば指示が出せます。

 がんは僕に「自分の愚かさ」に目を向けさせてくれましたね。怠けて後回しにしていたことがこんなにある、と気づかせてくれた。

 僕にとって、生きる希望、やり残していることは「映画」。スタインベックの「二十日鼠と人間」、谷崎潤一郎の「少年」、オリジナル作品、まだまだ映像化したいものがたくさんある。これからどんどん吐き出していきたいと思います。(聞き手・岩渕景子)

▽さの・かずひろ 1956年、静岡県生まれ。明治大学在学中に松井良彦や石井聰互らと出会い俳優デビュー。石井聰亙監督の「狂い咲きサンダーロード」等出演。89年「監禁 ワイセツな前戯」でピンク映画監督デビュー、脚本・監督・主演をこなし、「ピンク四天王」のひとりと呼ばれる。10月29日から新宿K'sシネマほかで主演作「秋の理由」が公開。