独白 愉快な“病人”たち

脳梗塞を経験したシェリーさん 「生きてるだけで丸儲け」

シェリーさん
シェリーさん(C)日刊ゲンダイ
タレント59歳<脳梗塞>

 うちは父が42歳で脳出血で他界。母は59歳で脳梗塞で倒れて、11年介護ののち他界。妹は36歳でくも膜下出血を起こし、今も高次脳機能障害を抱えています。そんな家系なので、私も脳についてはことさら用心していて、毎年脳ドックを受診していました。ところが、54歳で倒れた時に限って、定例検診が2カ月ほど遅れていたんです。

■必死で会社まで車を走らせた

 脳梗塞を起こす前兆は2、3日前からありました。パソコン画面を見ていると視界が狭まった。当時、保険会社で営業の仕事をしていたので、倒れる日の朝、時間があったら主治医のところに行こうと財布に診察券を入れていました。

 そして朝、車で出勤する途中、右折レーンで信号待ちをしていると、首の後ろをグワーンと強く押されたような感覚になり、首から肩にかけて重だるいようなギューッとつかまれたような、強烈な頭の痛みに襲われたのです。声を出してみたら「レロレロ~」、信号待ちをしていたほんの数十秒で、手足も何も右半分がマヒしてきたんです。

 運転中に脳梗塞を起こし、人通りのない所に車を止めたがために、人知れず亡くなった方の話も聞いていたので、「とにかく会社まで行って助けてもらうしかない」と、道路の左側を徐行運転で車を走らせました。

 会社までは信号が5つ、2キロほど。その時は「信号変わらないで!」と必死で祈って。会社の駐車場に車を止め、出勤してきた同僚に左手で、「アタマ、切れた(ハサミ)」とジェスチャーし、救急車を呼んでもらいました。

 早急な措置が必要なことは身内を見ていてよく分かっていたので、救急隊員には診察券を渡し、必死でこの病院に行ってほしいと伝えました。幸い、主治医が受け入れてくれ、勤務先の千里から茨木まで高速を使って運んでもらえて。おかげで寝たきりにならずに済みました。

 入院してから、桑名正博さんにメールをしたら、「今、宇和島やから、大阪に帰ったら見舞い行くわ!」と返事があったのに、今度は逆に桑名さんが脳幹出血で倒れてしまって……。慌てて私の方が点滴を外して見舞いに行きました。ところが、私が退院して間もなく桑名さんが亡くなったのです。「生きているだけでありがたい」と痛感する出来事でした。

■記憶力は落ち、言葉が出ないときもある

 3カ月後、退院してからは地下鉄がダメ。段差につまずくし、視覚が変になり、地下鉄のタイルが湾曲して襲ってくるような感覚になりました。それでもリハビリのために、水泳に1人カラオケ、介護ヘルパーの学校にも通いましたね。

 病院では本を音読するよう言われたのですが、本は苦手。もともと歌手ですし、歌の方がいい。そこで1人カラオケでリハビリしたんです。シニア割で安いし、大声出しても迷惑にならないんです。退院して半年後、アイドル時代の同期に当たる伊藤咲子ちゃんとリリーズの大阪ライブに顔を出したら、咲子ちゃんに「来年、私の40周年があるから歌ってね」とリハビリの目標をもらいました。

 脳梗塞は記憶力も落ちるので勉強が必要な保険の仕事はできない。そこで次は介護ヘルパーになろうと学校に入りました。最初は半身マヒを引きずって、自分の方が介助が必要なくらいでしたけどね。それでも、子供に頼ろうとは思わなかった。倒れた時、娘は海外永住権申請中で、「帰って来なくていい。自分の夢に進みなさい」と断りました。

 倒れてから5年。今も忘れっぽいし、言葉が出ない時はありますが、今は地元のFM局で3時間のレギュラー番組と夜勤でヘルパーをしています。去年、オーストラリアで孫が生まれたので、英語の勉強も始めました。生きてるだけで丸儲け。これからも何でも挑戦していきたいですね。(聞き手・岩渕景子)

▽1957年、東京都生まれ。14歳でハーフアイドルとしてデビュー。「金曜10時!うわさのチャンネル!!」「独占!女の60分」などバラエティーに転身、87年に大阪に拠点を移し、現在、FM千里「ちょっと言わせて! シェリーです」(木曜10~13時)に出演。自身で作詞を手がけたCD「GIFT」をクラウドファウンディングでリリース予定。