当事者たちが明かす「医療のウラ側」

エビデンスがすべてでいいのか? 信じれば偽薬も効果発揮

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ
都内の50代開業医

 最近は医者だけでなく患者さんも、エビデンス(EBM)という言葉を使いたがります。

 しかし、その意味を理解している人は少ないようです。

 通常、信頼性の高い臨床研究といえば、「ランダム化比較試験」を指します。研究中は医師も患者さんも本当の薬なのかプラセボ(偽薬)なのか分からない状態で治療が進みます。その結果、どの程度の治療効果があるかを調べるというものです。

 この「ランダム化比較試験」を複数集めて、高い見地から分析した「ランダム化比較試験のメタアナリシス」が最もエビデンスが高いものと考えられています。次にエビデンスが高いのは「少なくとも一つのランダム化比較試験」です。

 以下、「前向き研究」(研究を計画し、スタート以降に起こる事象を調査する)、「後ろ向き研究」(過去の事象について調査する)、「症例報告」、「専門家個人の意見」などさまざまなレベルのエビデンスが存在します。

 治療法のレベルを扱った論文の信頼度でいうと、「対象者が200人以上、平均追跡期間5年以上、脱落者10%未満」が最も高い、などと決められています。

 そうした厳しいルールの下で得られた「科学的根拠に基づく医療」に信頼があるのは当然です。しかし、医療をすべてこの言葉で片付ける風潮には違和感があります。

 薬の中には「科学的根拠のない薬」というものが少なからず存在します。医師の経験から投与され続けている薬で、その薬理効果を裏付けるハッキリした研究がないケースもあるのです。薬が開発された時代にそうした研究がなされなかったし、それ以降も裏付ける研究をするメリットがなかったなど、さまざまな理由があります。しかし、そうした薬は科学的根拠が乏しいから、薬を飲むのをやめたとしたら、患者さんが不利益を被ることもあると思うのです。

 例えば、治療するにはその薬しかなく、信頼度の高い臨床実験が行うには人道上の問題があり、証明しづらいケースです。その場合、エビデンスが低いので飲むのをやめるとしたら、どうでしょう。患者さんにとってプラスではないのではないでしょうか?

 患者さんが「良い」と思えば効果が出る場合があります。「医師が脈を取る」「医師が話を聞く」。それだけで患者さんの症状が改善することもあるのです。本来、薬は人間が持っている病に対する治癒能力を引き出すためのもの。その意味ではプラセボ効果もまた、立派な医療だと思うのですが……。