大手金属工業の社員だった藤田義一さん(仮名、66歳)が、糖尿病を告知されたのが18年前。毎月1回、主治医を訪ねて血液検査と3種類の糖尿病医薬品をもらい、そのたびに「食事療法を必ず実行してください」と、食品カロリー表や食事献立表サンプルを渡されていた。
だが、実際に食事療法を始めたのは定年後だった。単身赴任から解放され、自宅に戻った藤田さんの栄養管理に妻が乗り出したのだ。
「実は食事療法を真剣に考え始めたきっかけは、インポ(勃起不全)になってしまったからです。糖尿病になるとインポになるという話は友人からも聞いていました。しかし、まさか自分に降りかかるとは……。60歳を過ぎたばかりなのにもうインポかと思うと、あまりにも寂しいという気持ちがありました」
藤田さんは、主治医が示した1日1800キロカロリーの食生活を守るようになった。
朝、夕のご飯の量は茶碗に半分。好きな肉類やラーメンを抑え、野菜中心の食事に切り替えた。酒も1晩ビール1本、日本酒なら1合である。
始めた直後は少ない食事量に腹が鳴ったが、2年が経過したころ、糖尿病の診断基準であるHbA1cが、「8.8%」から「7.2」(正常値5.8~6.5未満)に落ちていた。
「妻には逆らえません。おかげで、一生治らないと思っていたインポも自然に解消していきました」
気を良くした藤田さんは運動療法にも挑戦した。もともとスポーツがあまり好きではなく、マラソンやジョギングをやる気はなかった。そこで、藤田さんは体を動かす目的で畑作業を始めた。実家が農家で、若いころに野菜作りを経験していたからだ。
自宅から車で15分の距離にある農家から、空いている畑100坪(約330平方メートル)を借りた。小型の耕運機を購入して畑を耕し、スイカ、カボチャ、サツマイモ、ネギ、キュウリ、トマト、白菜などを植えた。
春のタネ植え、草むしり、害虫捕り、カラスよけの網かけ、夏の水かけ、秋の収穫など、かなりハードな農作業の連続で、体重は88キロから73キロまで落ちた。
「何も得をしないスポーツなら、続いていなかったでしょう。収穫した野菜は家族だけでは食べ切れないので、毎年、近所に配っています。農家の仕事が面白くて、サラリーマン時代よりも体を動かしている時間が多かったと思います」
冬場は農家の仕事が少なくなるので、藤田さんは週に何回か自宅の周囲を1時間ほどブラブラと歩いているという。
もともと、藤田さんの家系に糖尿病患者はひとりもいない。
「人生の半分は単身赴任。1日4食など、暴飲暴食が糖尿病を招いたのは間違いありません。少なくとも、私はひとりでは健康管理はできないですね」
藤田さんは笑った。
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