天野篤氏が語る ノーエリートが“天皇の執刀医”になるまで

心臓外科医の天野篤氏
心臓外科医の天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 私の大きな転機は46歳でした。2002年7月、順天堂大学医学部から教授として声をかけていただいたことです。

 それまでの私は出身大学である日本大学の医局にも属さず、一匹狼のような心臓外科医でした。県立浦和高校2年生の時、父親に心臓弁膜症が発覚して医師を志したものの、医学部に合格するまで3浪しました。卒業後は、民間病院を中心にいくつかの施設を転々。そんな“ノンエリート”の外科医が、第一線の大学病院から教授として声がかかるなんて、まずあり得ないことなのです。

 それもこれも、「心臓外科医として腕を磨きたい」という強い気持ちを持ち続けて、さまざまな病院でひたすら実績を作ってきたことが大きかったと思っています。

 30歳から5年ほど籍を置いた亀田総合病院(千葉・鴨川)では、心臓外科の第一人者だった恩師の冠動脈バイパス手術に感銘を受け、オペに没頭しました。35歳から11年間勤務した新東京病院(千葉・松戸)では、憧れだった先輩外科医のもとで数多くの手術を執刀して技術を磨き、90年代後半からは、たいていの医師が二の足を踏んだオフポンプ手術を導入しました。心臓を動かしたまま手術を行う方法です。

 当時は人工心肺装置を使って心臓を止める手術が一般的でしたが、拍動停止の時間が長いほど、患者は強いダメージを受けます。心臓を止めないオフポンプ手術は患者への負担を軽減できる分、回復も早くなる。

 ただ、速く正確な技術が求められるため、躊躇する医師がほとんどでした。しかし、私は「これこそが患者さんのためになる」という確信を持ち、可能な限りすべてのバイパス手術をオフポンプ手術で行うことにしました。そうやって実績を挙げたことが認められたのです。

■徹底的に突きつめることが自分自身の隙をなくす

 順天堂大に移った後も実直に手術に取り組み、12年には天皇陛下の心臓手術に携わらせていただくことになります。教授就任から10年、外科医としての能力を落とさず、オフポンプ手術の先頭に立っていたからこその光栄だと思っています。

 なんでも徹底的にやって、とにかく上を目指す。これが、最終的に自分自身の隙をなくすことにつながります。私も61歳になります。一般的には現役を退くような年齢ですが、私はいまも現役外科医として執刀していますし、まだ伸びしろがあると自負しています。

 年齢的にボーダーライン上に立っているとしても、あっさり隠居するのは実にもったいないと思います。自分のキャリアを見直し、強みや弱みを真剣に考えてみる。とことんやって強みをいくつも持てれば、どんな状況でもしなやかに乗り切ることができるんじゃないでしょうか。

▽あまの・あつし 順天堂大学医学部付属順天堂医院院長・心臓血管外科教授。1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日大医学部卒。執刀した手術は6500例を超え、成功率は98%以上。12年2月、東大と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。