独白 愉快な“病人”たち

メモ持参で迷い払拭 園田マイコさん流「乳がんとの向き合い方」

園田マイコさん
園田マイコさん(C)日刊ゲンダイ
モデル47歳<乳がん>

 乳がんと診断されたのは、2008年10月でした。母が乳がんを発症していたので、「もしかしたら、自分も……」という気持ちがあって、普段からよくリンパに近い脇の下あたりを自己触診していたんです。その日、何の気なしに他の部分をあちこち触っていたら、あれ? と思う箇所が。左胸の乳首の下のところに、明らかに“何かがある”感じがしました。その後、最終的にはサードオピニオンまで受けることになります。

■「早く診察室から出たい」とばかり考えていた

 最初のお医者さまが、触診、針生検、エコー検査の後に「検査の結果を待たないと正確なところは分からないけれど、95%良性だと思う」とおっしゃって、不安ながらも希望の光が見えました。しかし、1週間後に病理検査の結果を聞きに行くと、「悪性」と言われて……。とにかく混乱してしまって、先生は丁寧に状況を説明してくださるのですが、言葉がまったく耳に入ってこない。ただただ、「どうしよう」と思い、「早く診察室から出たい」とばかり考えていました。

「セカンドオピニオンも聞いたほうがいい」という事務所の紹介で訪ねた病院では、「(左胸を)全摘になるかもしれないね」と告げられました。「95%良性」から「悪性」と奈落の底に突き落とされる体験をしていたので、最初の病院で味わったパニック状態には陥りませんでしたが、それでもガックリきました。事務所、元夫、当時中学生だった息子などに報告をして、どうにか気持ちは落ち着けたのですが、義理の母が心配して聖路加国際病院を紹介してくれました。

 がんの疑いがある場合、複数の医者に意見を聞くことは精神的に苦しいケースもありますが、セカンドオピニオンでは「1つ目の病院の診断が間違いだったのではないか」と思い、サードオピニオンでは「過去2つの病院の診断が間違いかもしれない」と期待するものです。私の場合は、2つの病院で「悪性腫瘍」との判断がなされていたので覚悟はしていました。それでも、いずれの病院でも言われた「抗がん剤治療は免れない」という判断が、サードオピニオンで覆されるのを期待する気持ちが強かったのを覚えています。

 結局、3つ目の病院でも抗がん剤は免れないという判断になりましたが、「しこりは2センチ、ステージ1の終わり、浸潤がんでリンパ節転移はなし」と診断が下り、「乳房を温存しても大丈夫だと思います」と優しく言っていただけました。そのまま、聖路加国際病院でお世話になることになったのですが、振り返ると、「納得いくまでいくつでもお医者さまの意見をうかがう」のはいいことだと思います。そのプロセスの中で徐々に病気を受け入れることもできますし、お医者さまとの相性も測れます。

 がんの場合、主治医には生涯お世話になるわけですから、信頼できる何でも話せるお医者さまにお願いしたい。病気の判断や治療法を含めて、少なくともセカンドオピニオンまでは受けたほうがいいと思います。そして、疑問に思ったことは何でも聞く。私も治療時にはいつもメモ持参で迷いを払拭していました。

 治療は、手術→抗がん剤治療→放射線治療→ホルモン療法のフルコース(笑い)。放射線治療は奇跡的に副作用を感じなかったのですが、4回の抗がん剤治療は、吐き気、味覚障害、便秘、だるさなどの副作用が人並みにありました。

 それでも、治療を終えると調子が良くなってくるんです。3回目の治療が終わるころ、友人に食事に誘われて久しぶりにお化粧をしたら、さっきまで表情を失っていた顔がパッと明るくなって気持ちがワクワクして。「オシャレもしてみたい」と前向きな気持ちになれました。そういえば、乳がんが分かってから、知人に紹介されたり、SNSを通じて知り合ったがん患者さんたちは皆、オシャレしているし、前向きで明るくてきれい。がんを宣告されて絶望のふちにいたとき、支えてくれたのは、家族はもちろん、同じ病の先輩たちでした。

 思えば、がんになって初めて「人に甘える」ことを覚えました。それまでの私は何でも自分でしないと気が済まないたちで、人に頼るのは苦手。でも、「お願い」と言えば、だれもが優しく支えてくれる。治療の途中から復帰したモデルの仕事も、スタッフの皆さんに支えられて、楽しくさせていただいています。

 昨年、5年間の治療も終わり、これからは1年に1度、エコーとマンモグラフィー検査を受けるための通院になりました。今年も手術を受けた2月12日にうかがうことになっています。この日が私のもうひとつの誕生日。多くの人に助けられて、元気に過ごしています。

▽そのだ・まいこ 女性ファッション誌をはじめ、「FENDI」「ヒロコ・コシノ」などのショーでも活躍。一昨年、昨年は、東京で行われた「乳がん学会」で、シンポジウムの一環として乳がん患者がモデルとなるファッションショーに協力、自身もステージを歩いた。著書に「モデル、40歳。乳がん1年生。」(KKベストセラーズ)がある。