「多死社会」時代に死を学ぶ

医療が関わる介護ケア

東京都済生会中央病院元副院長の石飛幸三医師
東京都済生会中央病院元副院長の石飛幸三医師(C)日刊ゲンダイ

 現在、亡くなる人の「死に場所」はどうなっているのか。厚労省(2013年統計)によると、病院が75.6%、自宅が12.9%、残りは老人ホームや介護・老人保健施設等だという。

「私の印象でも病院で亡くなる人が約8割。しかし、ホンネは住み慣れた自宅で死にたいと切望している人が8割なのです」

 こう語るのは、血管外科医としてドイツの病院や「東京都済生会中央病院」(退職時、副院長)に長年、勤務してきた石飛幸三医師(写真)だ。石飛医師は現在、特別養護老人ホーム「芦花ホーム」(東京・世田谷)の常勤医師を務めている。

「私は病院勤務医として長い間、さらに今年12年目となる老人ホームでの勤務医を含め、数多くの死をみとってきました。その経験から申し上げますが、老衰による自然死(平穏死)が、高齢者の尊厳を守るためにも理想だと思います。ただし、現在の医学では、私が考える平穏死のための介護ケアは、病院ではできなくなっていると感じています」(石飛医師)

 ここ数年、年間10人を超える死をみとっている石飛医師は、病院での介護ケアの限界を感じている。それを物語るのが次のようなエピソードだ。

■寝たきり高齢者がビールを飲んで元気に

 脳梗塞で倒れたAさん(76歳)は、「胃ろう」(腹部に穴を開け、直接胃に栄養を投与する)装置を付け6年間もベッドに伏していた。

 大口を開けたまま、言葉はもとより喜怒哀楽の意思表明もできないAさん。寝たきり状態だ。

 ある日のこと、Aさんの片方の手指が何度も、一定の方角を指していることに看護師が気づいた。その指先の棚に、1本の缶ビールがあった。石飛医師や老人ホームのスタッフが注目した。

「ひょっとしたら、Aさんはビールを飲みたいのではないか。指はその意思表示ではないのかと思いました」(石飛医師)

 Aさんを車椅子に移し、スタッフはAさんの手を支えて缶ビールを持たせ、口元に寄せてみた。すると、口の周りに泡を付けながら、ゆっくりと飲み始めたという。

 6年ぶりのビールである。Aさんは飲みながら何の感情も表さなかったそうだが、「長い時間をかけて1本の缶ビールを飲み干したことに衝撃を受けました。ああ、Aさんはこの6年間、心底ビールを飲みたかったんだなと思いましたね」と、石飛医師は言う。

 もしAさんが病院に入院していたら、アルコールを飲ませるなど決して許されなかったはずだ。

 老人ホームの常勤医師として、石飛医師は病院が眉をひそめるような、こうした出来事を日常的に体験しているという。

「病院や医師は病気を治すことが目的であり、使命です。それは私も医師としてよく理解しています。医師という科学者のはしくれとして、死とは何かも説明することができます。ですが、病院、医師という医療の現場で、死に向かう患者の心も支える必要がある時代が来ているのではないでしょうか。それが哲学や宗教も加味するのかもしれません」(石飛医師)