「多死社会」時代に死を学ぶ

終末期に胃ろうは必要か?

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 口から食べられなくなった患者さんのお腹に穴を開け、カテーテルを通して直接栄養剤を送る「胃ろう」。一度つけたらなかなか取り外せない、意識もなく、ただ生きているだけの患者さんをつくるだけ、などの批判がある。医療現場でも賛否の声が上がる。

 その医療コストは、病院施設か在宅かによって開きがあるが、自己負担金は大ざっぱにひと月4万~6万円である。

「胃ろうを一時的につけることで元気になる人もいる。そういう人は大いに活用すればいい。しかし、高齢者がつけると寝返りも打てず、黙ってじっと横たわっているだけ。病院にはそうした高齢者が20万~30万人いるといわれています。終末期の高齢者に、こうした過剰な延命医療を施すことは、本人にとって、果たして幸せなことでしょうか。むしろ、本人を苦しめることにならないか。私はもっと自然に、安らかな死を迎えさせてあげたいと、早くから『平穏死』を提言してきました」

 こう言うのは特別養護老人ホーム「芦花ホーム」(東京・世田谷)の石飛幸三常勤医師だ。

 石飛医師は血管外科医としてドイツの病院や「東京都済生会中央病院」(退職時、副院長)で長年、患者を治療してきた。現在の「芦花ホーム」の常勤になって12年を迎えるが、現在も毎日、老衰の胃ろう患者と向き合っているという。

「芦花ホームに、胃ろうをつけた80代の女性が入居してきました。息子さんの希望もあって、このおばあちゃんから胃ろうを外しました。息子さんはすぐに亡くなると思ったようですが、それから3年生きて、その後、安らかにお亡くなりになりました」

 医師は患者を治療し、1日も長生きさせることが第一の使命である。胃ろうもそのための治療のひとつだ。だが、「人生最終章の医療判断として、何を選択することが本人にとって最も幸せか、その心も考えるべきではないでしょうか」と石飛医師は言う。

■取り外すことで元気になるケースも

 93歳の女性がホームに入居してきた。病院に入院中に胃ろうをつけられ、十数種類の薬を処方されていた。

「私は、その十数種類の薬をすべてやめさせました。それで、口から少しずつ食事を与えました。すると、意識が戻ってきたのです。まあよくしゃべられるようになりました」

 都市部の総合病院に、くも膜下出血で入院したAさん(82)は、胃ろうを装置したまま、もう5年が経過している。意識はない。

 毎日のように2人の子供が見舞いに来ているが、胃ろうをつけるときに子供たちの間で意見が割れた。50代の長男は、医療費の負担も考慮して、病院に「胃ろうは必要ありません」と訴えた。ところが長女は、「母を見殺しにはできない。絶対に胃ろうをつけて!」と泣きながら長男と病院側に懇願した。胃ろうをつけても、母親が元気を取り戻す確率は1%もないことは分かっているのにだ。

 子供たちの存在さえ分からず、大きく口を開け、寝たきりの母親を見ながら、長男は「生きるとは、どういうことでしょうか」と、自問自答を繰り返している。